ひろみちゃんの右手
ひろみちゃんは幼稚園に通う5歳。ごく普通の女の子。
「普通って何よ!」
いや、一般的というか、どこにでもいるという意味合いで。。。
「どこにでもいるってどういうこと?私は私で、あやちゃんはあやちゃんで、お母ちゃんはお母ちゃんで、みんなそれぞれ違うんじゃないの?普通って何よ!」
いや、そうなんだけど、、、、。普通って何なんだろうね、、、。
「普通、普通って、説明できもしない言葉は使わないで!“普通はそうする”とか“それは普通だ”とか。訳わからない!しかも、”ごく”って何よ!”ごく”って!!」
という訳で、ひろみちゃんは幼稚園に通う、ピアノのコンクールを明後日に控えた女の子である。
今日はちょっと様子がおかしい。お父ちゃんと朝ごはんを食べている時、いつもはひろみちゃんが先に食べ終わってデザートのヨーグルトをお父ちゃんの分も冷蔵庫から持ってくるのに、その役目、今日はお父ちゃん。それにしても、食べるのが遅い。
「ひろみ。何で箸を左手で持ってるの?食べづらいだろ」
「いいの。今日は、そういう気分なの。テレビでも両手が使えると脳に良いって言ってたし」
「そう。なら良いけど、幼稚園に遅刻しちゃうよ」
「うん。頑張って急ぐね」
なんとかいつもの時間に家を出る。
会社に向かうお父ちゃんに送ってもらい、ひろみちゃんは幼稚園に。
「お迎えはおばあちゃんが来てくれるからね。明後日コンクールだからピアノの練習がんばって」
「うん。でも、今日はピアノの練習できないと思う」
「え!?1日休んだら、下手になっちゃうっていうからがんばってよ」
「うん、、、、。でも、、、、、」
「がんばって。じゃー、会社行ってきます」
お父ちゃんは近くの公衆電話に10円入れて、おばあちゃんに電話した。
「俺だけど。今日お迎えよろしく。あと、明後日コンクールだから、ひろみにピアノの練習させて」
幼稚園でお絵描きの時間。ひろみちゃんは左手でクレヨンを持っている。いつもより上手じゃない絵に、友達たちが笑う。
「なに描いてるの?」
「猫」
「変な猫!笑。それじゃー虫だよ、虫」
「ホントだね笑。今日は左手で描いてるの、明日もかもしれないけど。。。」
「左手で描いてるんだ。私も描いてみよう!」
友達たちが続々と利き腕じゃない方で描き始める。続々と変な絵が生まれる。それを見てみんなが笑う。それからしばらく、利き腕じゃない方で絵を描くことが幼稚園でブームとなった。
幼稚園で手遊びの時間。
グーチョキパーでグーチョキパーでなに作ろう なに作ろう 右手はグーで左手はチョキで カタツムリ カタツムリ
グーチョキパーでグーチョキパーでなに作ろう なに作ろう 右手はチョキで左手もチョキで カニさん カニさん
ひろみちゃん、カタツムリはやるけど、カニさんはやらない。
おばあちゃんが迎えに来て帰宅。おやつを食べてピアノの練習。
「左手だけね」
「明後日コンクールだから、ちゃんと練習しなきゃダメよ」
「大丈夫。右手は完璧だから」
「ちゃんとやりなさい。お父ちゃんからも言われてるし、普通はコンクール近かったらちゃんと練習するでしょ!」
「普通って何よ!今日は左手だけなの!」
頑ななひろみちゃん。説得できなかったおばあちゃんは、お父ちゃんに電話で報告した。お父ちゃんはなんとなく気がついた、そしてとても心配した。
「ひろみは、今日、ずっと右手を握ったままだ。怪我でもしたのだろうか、まさか麻痺とか。。。。」
目の前が真っ暗になるような、どうしようもない不安を抱えたまま、お父ちゃんは病院に向かった。
会社帰り、入院している奥さん、ひろみちゃんのお母ちゃんのお見舞いに行くのがお父ちゃんの日課だった。休日にはひろみちゃんも、もちろんお見舞いに行く。心配はさせたくなかったが、どうしようもない不安に包まれたお父ちゃんは、今日の出来事をお母ちゃんに話した。
「今すぐ、ひろみを連れてきて!」
お父ちゃんは急いでひろみちゃんを迎えに行った。
「ひろみ、ピアノの練習した?」
「うん、、、、、、。左手だけね。。。。」
「ちゃんと練習しなきゃダメ。明後日コンクールでしょ」
「うん、でも、、、、」
「わかってる。昨日から右手握ったままなんでしょ。バカね、心配いらないわ。開いても大丈夫、おまじないは解けないから」
昨日、祝日の水曜日の夜、お父ちゃんとひろみちゃんはお母ちゃんのお見舞いで病院にきた。その時、お母ちゃんはコンクールで上手く弾けるように、緊張しないようにおまじないをかけた。ひろみちゃんの右の手のひらに、
“お母ちゃんはいつも一緒だよ”
と、がんばれ!という気持ちと、病院にいてコンクールで弾いている姿を見られない残念な気持ちを込めて書いた。
ひろみちゃんは泣き始めた。
「だって、お母ちゃん、“お母ちゃんはいつも一緒だよ”って書いたんでしょ?明後日、お母ちゃんは手術でしょ?難しい手術なんでしょ?お母ちゃんが“お母ちゃんはいつも一緒だよ”って書いた右手を開いたら、お母ちゃんがどっかに行ってしまいそうで、、、、」
「バカね。そんなことでどうにかなるわけないでしょ。じゃー、強力なおまじないをかけてあげる。手を開いても、消しゴムで消しても、一生消えないおまじない。普通じゃないわよ、特別なヤツ。スペシャルなお母ちゃんが、スペシャルなひろみにかける、超スペシャルなおまじない。右手を開いて」
「うん!」
“お母ちゃんはいつもひろみの味方だよ お父ちゃんもね”
「俺を“ついで”みたいにつけるなよ」
苦笑するお父ちゃんの一言で病室に笑い声が響いた。
2日後、ひろみちゃんのピアノは天国にも届きそうなほど、とても美しい音色を奏でた。
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