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電車内で見た希望のようなもの

-ヒロシのターン

「朝まで飲んだはいいけど、よりによって帰りの電車が満員電車って、なんだよ。俺も来年からは毎朝こんな満員電車に乗るのかなぁ」

ヒロシは昨夜の宴を後悔すると共に、未来の自分を憂いた。

飲みすぎて途中で潰れてしまい、仲間に起こされた時間は既に通勤ラッシュ。頭痛、極度の眠気と断続的な吐き気。駅で停車する度に、後ろからギュウギュウ押される。前に座っている男性にぶつからないよう、手すりをギュッと両手で掴み後ろからくる圧力に耐えているのだ。

前に座っている男性は、見るからに仕立ての良いスーツとこれまた高級そうな革靴を纏っている。

こんな格好をして車ではなくて電車で移動している人は、ややこしい職業に違いない。

後ろから押された拍子に靴を踏んでしまった、なんてことになったら、イチャモンをつけられるに決まっている。

果たして自分は、こんな高級品を身に纏える社会人になれるのだろうか?

靴を踏まないように気をつけながらも、前の男性にちょっと憧れている自分にヒロシは気づいた。

電車は速度を落とし駅に停車、また背中を押される時間だ。

手すりをつかみ直し、両腕に力を入れたその瞬間、ヒロシの前の男性に対する憧れは一気に冷めた。

-マリコのターン

「ホント、良い出会いはないかしら。“今日のラッキーアイテムは異性の下着” そんなもん出会いもないのにどーすんだ!っつーの」

マリコは不機嫌だった。彼氏ができないのだ。顔は整った美人でEカップ。しかも胸とヒップ以外は痩せている、いわゆる男性はもちろん女性も羨む抜群のスタイル。

モテない訳ではない。どちらかというとモテる、いや、間違いなくモテる部類の人間だ。しかし、チヤホヤされるだけ、綺麗だなんだと褒められるだけの、ただモテたい訳ではない。

彼氏が欲しいのだ。もっと言うと1人の男に一番に愛されたい。

ここ数年、良い感じだと思っていた、、、付き合っていると思っていた男は数人いた。

要は、男は嘘つきなのだ。

自分が一番に愛されていると思っていたら、実は、その男には奥さんがいた、本命の彼女がいた。結局は、自分が一番ではなく愛人だったという結末。

そんな数年の間、友人たちには続々と彼氏が出来ていく。言っちゃ悪いが自分より可愛くないにもかかわらずだ。結婚までした友人もいる。

バランスの良い食生活、適度な運動で健康美を保ち、料理も好きで得意、仕事も家事もそつなくこなす。自分で言うのもなんだが、非の打ち所がない女だ。彼氏ができないなんて、もう、運がないとしか言いようがない。

マリコは今、心底ラッキーが欲しいのだった。

-ユウジロウのターン

「こんな日に限って、調子悪くなっちゃうんだよなぁ」

ユウジロウはちょっと苦々しい気持ちで得意先に向かっていた。今日の得意先は、ユウジロウにとって自分のコンプレックスを隠すことなくオープンにするきっかけとなった、とても大切な得意先だ。

顧客管理システムを作り20代で起業。使いやすいと評判で会社は成長した。20年経った今でも技術革新を続け、中小企業とはいえ、増収増益を続けている。

家族にも恵まれ、富も得たが失ったモノもあった。髪の毛である。

その歴史は早く大学生の頃から徐々に薄くなっていった。会う人会う人の視線が、まず頭にくることが苦痛でならなかった。

会社も成長し、周りからもチヤホヤされるが、頭に視線がくるのを感じると、蔑まされているような気分になった。

そんなある時、得意先の社長が

「ウチの商品使ってくださいよ。私も使っていますし、客の商品使っているって言ったら意外とみんなすんなり受け入れてくれますよ。モニターやっているって自分から言えば良いんじゃないですか?」

とカツラを持ってきた。使ってみると悪くない。急に髪が増えたらみんな驚くだろう。だから、突っ込まれる前に、いや、視線が頭にきた瞬間に

「お客様の商品モニターをやることになって」

とエクスキューズ。

最初こそ恥ずかしかったが、カツラのモニターをしている、という事実が広まると、みんな自然と受け入れたのか、視線も頭にこなくなった。今では娘も「お父さん、髪があった方が良いね」なんて言ってくれる。髪ではなくて、カツラなのだけれども。

今日の得意先はそんなカツラメーカー。

朝、いつものようにカツラを着けようとしたところ、どこかの部品が取れてしまった。うまく被れない。
ちょうど今日はカツラメーカーに行く予定だったから、ちょうど良いといえば、ちょうど良い。行ったついでに直してもらおう。

とはいえ、カツラをつける習慣が数年続いている今、カツラなしで外に出るなんて、裸で歩くも同然の恥ずかしさだ。仕方なく、以前着けていたカツラを着けて得意先に向かっているのだ。

やっぱり最新型の方がしっくりくるなぁと思いながら。

-ヒロシのターン

駅が近づき電車が停まった。

また、後ろからくる圧力に負けないようにヒロシは二日酔いながらがんばって手すりを握って耐えた。目の前の男性の頭を見ながら。

「おいおい、金の使いどころ完璧に間違っているだろう!仕立ての良い服を着て、高そうな革靴履いているにもかかわらず、一目見てすぐにカツラとわかるカツラを着けるなんてバカじゃね? 何世代前のカツラ着けてるんだよ。隠したいのか隠したくないのかサッパリわからない。いや、絶対隠したいんだよな! 今なら全然バレないカツラはたくさんあるっつーの!」

一瞬、目の前の男性を羨ましく思った自分に腹が立ってきた。

ハゲが悪いと思っている訳ではない。
ハゲていても格好良い男性などいくらでもいる。

カツラを着けているのが悪いと思っている訳でもない。
それは人それぞれのこだわりだったりポリシーだったりするから。

ハゲを隠したいなら、なるべくバレづらい、自然に見えるカツラを使うなど、自分の満足度はもちろん、少しは周りに配慮して欲しいと常々思っているだけだ。

バレバレのカツラを着けている人を目の前にすると、その違和感にどう反応して良いかわからずに困ってしまうからだ。

来年の就職が決まったものの、一番に希望した会社ではない。この先、成長するかも怪しく正直不安だった。昨夜、潰れるほど飲んでしまったのはそんな不安を忘れようとしていたのかもしれない。

そんなところに、仕立ての良いスーツ、見るからに高級そうな革靴を纏った男性が現れたから、ちょっと理想の未来に思えたのだ。

このままじゃ、こんな良い洋服は着られないかもしれない。もっと何かを頑張らねば! 漠然と自分を鼓舞しかけた時に、バレバレのカツラである。

ヒロシにはショックだったのだ。この理想とも思えた男性が急にハリボテに見えたのだ。頭隠して尻隠さずではないが、頭隠してヅラ隠さず。

金があるクセに本気で隠そうとしている頭、本来金をかけなければならないカツラに金をかけないなんて、、、、。
本当は金持ちじゃないのでは?
 金持ちだとしてもツメが甘いのでは?

あれ?俺は金持ちになりたいのか?

未だ酔いの醒めない頭の中にクエスチョンマークが沢山並んだ。

-ユウジロウのターン

「なんか酒臭いな」

電車が駅に停まった。前の若者が後ろから押されるのを必死で堪えている。押されて若者が近づくと酒臭い。

そうか、この若者、朝まで飲んでいたな。ユウジロウは苦々しく思った。

どうせ合コンにでも行っていたのだろう。チャラそうなヤツだ。こういうヤツが女にモテるのだろう。大学生なんぞ、遊んでばっかりのヤツが大半だ。俺は遊ばず会社を起こして成功したから、当時の同級生とは比べものにならないくらい裕福だ。

ユウジロウは、学生時代からハゲていた。今ほどではないが、ハゲていた。若ハゲである。時々、合コンに誘われた。目線が頭に向けられ相手の女の子がなんとも言えない表情になるのが嫌だった。目線が気になりうまく喋れず、どんどんコンプレックスになっていった。

そのコンプレックスがビジネスに没頭させた。合コンや遊びに行ってもバカにされたような気分になる。しかし、会社経営は良い製品を開発し、進化させるとお客さんが喜び、お金が入ってきた。

容姿は関係なかった。製品、サービスが相手の判断基準だった。その快感を知ってから、合コンに誘われても遊びに誘われても断り、ビジネス、会社を優先させた。

でも、本当は合コンに行きたかった。山手線ゲームとかしたかった。女の子とキャッキャしたかった。それらを青春の1ページというならば、ユウジロウにはその1ページは存在していなかった。大学生時代は今と同じ経営時代とも言えた。

ユウジロウは急に、喪失感を感じた。今はもう取り戻せないその時間を取り戻したい衝動に駆られた。目の前の若者の顔を見上げてみた。二日酔いで辛そうだが、自分の経験したことのない青春の1ページを満喫したであろうその顔を恨めしく思い目線を下げた。

目の前のズボンのチャックが開いていた。

-マリコのターン

「あれ?ズボンのチャック開いてない?」

マリコは高揚した。

駅で停車中、少し右に目線をやると、ギュウギュウ押されているその男のズボンのチャックがパカパカ動いているのだ。

間違いない、チャックが開いている。

これは、チャンスだ。もう一度、今日のラッキーアイテムを思い出す。

“異性のパンツ”

ここで見なけりゃ、どこで見る。男が押される度にチャックがパカパカ。

よし、もっと押して!後ろの人たちもっと押して!降りる人も押して!乗る人も押して!ちょっとでも見えれば良いの!もうちょっと、もうちょっとパカパカさせて!!

そう念じながら、身体は右の方に右の方に、なるべくチャックに近づくように身を寄せていく。

もう少し、もう少し、もう少しだ!!

そう思っていると、ドアは閉まり電車は次の駅へと発車した。

落ち着く車内。チャックがパカパカすることもなくなった。

勝負は客の乗り降りの時。つまり次のチャンスは次の駅に停車した時。

「もう、絶対見てやる!どさくさに紛れて絶対!」

マリコは不確定な未来に誓った。

しばらくして、また電車は失速し駅に到着した。

-ヒロシのターン

「あ、綺麗な女の人が俺のこと見てるんじゃない!?」

ヒロシは押されながらも、綺麗な女性の視線に気づいた。

すごく美人でスタイルの良い女の人が俺を見ている。でも、そのスタイルの良い身体は前の金持ちなのにハゲを隠しきれてない、いや、ヅラを隠しきれていない、ヅラ隠さずの男性に寄りかかっているように見える。

なんなんだ? 女の人の顔もなんだか真剣だ。ヅラ隠さずの男性も女の人がこっちに来ないようにブロックしているような。
ひょっとして、このヅラ隠さずのオンナか? 俺がヅラに気づいたのがわかって威嚇しているのか? いや、それはない。たぶん、俺の両隣も、ひょっとしたらそのまた隣もヅラには気づいてる。それくらいバレバレなのだ。

なんなんだ、俺のこと好きだったりして。。。だって、すごい勢いで俺に近づいてきてる。もう、抱きつきそうなくらい。よくわからないけど、ヅラ隠さずよ、止めるな。そのまま女の人のしたいようにさせてやってくれ! どっちにしても、こっちに向かってきてるから、触れ合うくらいはできるはず。あ、すいません、、、なんて言って、お近づきになれたらラッキーじゃないか。それをこのヅラ隠さずは何で阻止するか。。。頼むよヅラ隠さず。

あ、押されたフリして、女の人の方に近づいてみようかな。

発車ベルが鳴った瞬間の、それはほんの出来心。

押されたフリをして、サッと右前方向に身体を動かした。

-ユウジロウのターン

前の若者のチャックが開いている。

それも目の前で全開だ。見たくなくても視界にはいってしまう。男のパンツなんてみたくない。でも見えてしまう。パンツならまだ良い。

チャックの奥に見えるのは、黒々とした陰毛なのだ。

「なんで、こいつはパンツを履いていないんだ!!」

きっと、合コンでお持ち帰りしてそのまま履き忘れてきたに違いない。

合コンで良い思いなどしたことのない、ましてや大学生時代を謳歌していないユウジロウのコンプレックスが自身の勝手な妄想をきっかけに爆発した。

羨ましい! 合コンしたい! 学生時代に戻りたい!ハゲてさえなければ。。。

視界には黒々とした陰毛が飛び込んでくる。

「ああ!その陰毛でも良い!毛が欲しい!」

毛さえあれば、合コンも楽しかっただろうし、大学生時代も謳歌できただろう。

「ああ!ただただ毛が欲しい!その陰毛ですら愛おしい!」

そう考えていると、隣の女性がどんどん自分に身体を預けてくる。

なんだ? なんだ? 今、来たか? 青春の1ページ!

と思ったのも束の間、女性の目線は目の前の若者に向かっている。それも、股間にだ。

「この女、色情魔か?この若者は電車の中でも女を狂わせるのか!?許せん!」

なんとしても近づけるものかと女性をブロックするユウジロウ。攻め続ける女性。そうこうしている内に、発車ベルが鳴る。

ドアが閉まりかけたその瞬間、女性の手が若者の股間に伸びた。

阻止しようとユウジロウが手を伸ばしたその時、ユウジロウの手が若者のチャックに吸い込まれた。

「最悪の事故だ。。。でも折角だから。。。」

ユウジロウは陰毛を数本抜き、そっとカツラに忍ばせた。

頭上では、「ウッッ」という若者の声、左からは女性のため息が聞こえた。

-マリコのターン

「結局、見れないじゃん!折角のチャンス!だと思ったのに。。。」

右隣の男が何故かマリコをチャックに近づけないようにする。マリコはヤケクソになって、思い切り身を乗り出したその時、なんと! チャックがマリコの正面に向きかけた。
とっさにマリコはチャックに手を伸ばした。

その瞬間である。その瞬間、右隣の男の手がチャックにズッポリと吸い込まれるように入っていった。

手首まで入った。

マリコは自分の不幸を呪った。少しの間だけ。

発車ベルが鳴り終わり、電車が動き出す数秒の間だけ。

先ほどの風景がスローモーションで頭に浮かんで、マリコは自分の不幸を呪った。

手首まで入っていったその光景をみて、マリコは負けを認めた。

何の勝負をしていたのか、全く理解できないが、負けたのだ。

何に?強いて言うなら彼氏ができない自分の運命に。

見えそうで見えないパンツは見られず、人生でほぼ見ることがないであろう、チャックに他人の手首が入っていく瞬間を見てしまった。

ラッキーアイテムが見られなかっただけで、この絶望感。もう、一生彼氏はできないかもしれない。

何せ、手首まで入ったんだ。

電車が動き出し、マリコは我に帰った。

「チャックに他人の手首が入るって、、、」

マリコは急にバカバカしくなって、男友達にメッセージを送った。

「久しぶり。ねぇ、合コンしようよ。綺麗な子集めるから、そっちもイケメン集めてね」

チャックの奥が見たくって、あんなにヤケクソになれたんだ、なんだってできる。

マリコはそう思った。

-そして日々は続く

目の前の若者とは気まずかったが、事故だ。
軽く会釈して何事もなかったかのように車内は過ごし、目的の駅でこれまた何事もなかったかのようにユウジロウは下車した。

得意先のカツラメーカーに着くなり、カツラの調子が悪くなった事を伝え、修理をお願いした。

「言ってくれれば、代替商品を届けましたのに。今着けてるのは結構前のやつですよね。ちょっと調整すれば、最新とは言わないまでも自然なものになるので、こちらも調整しますよ。どちらも打ち合わせが終わるころには仕上がると思います」

と社長が言ってくれたので、お願いした。

奥の工房に行った社長の声が聞こえる。

「おい、この商品も調整頼む。早くしろよ。お前にしては珍しいけど、二日酔いで遅刻してるんだから、仕事で取り戻せ。バイトだからって甘くないぞ。就職決まったんだろ?来年から社会人なんだから、ちゃんとしろ!」

カツラを手に取ったバイトは呟いた。

「なんで、こんなところに陰毛が挟まってんだよ、きったねーなー」


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