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〈短編小説〉あれからの話だけど Bonus track 第4話


 村上優美は僕が働く本屋から二駅ほど離れたところにあるカフェの店長であり僕の交際相手だった。僕よりも五歳上の優美と出会ったのは僕の本屋の本を優美のカフェの本棚に置かせてもらっていることに起因した。月に一度、優美のカフェに置いてある本の補充と交換が僕の仕事だった。今日もそのために本屋の車で優美のカフェに来ていた。

 優美のカフェはいわゆるブックカフェの体裁を取っていた。ジャズやクラシックなどの読書と調和する音楽を流し、木製の家具を基調にインテリアを揃えている。メニューはあまり多くはないが、素朴なお菓子と淹れたてのコーヒーがおいしいカフェだ。

「いつもありがとう」

 本を運ぶ僕に優美は言った。顎と肩の中間くらいの高さに切り揃えられたボブカットの髪がさらさらと流れていくのを見るのが僕は好きだった。細身の体にウエストエプロンをしているのでさらに細く見える。

「仕事だからね」

「仕事でもね、ありがとうって思ってるんだよ」

 優美はまっさらな気持ちでそういう言葉を言ってくれるので、優美が目を細めて笑うのを見ると嘘のまったく混ざらない澄み切った笑顔とはこのことなんだろうと思った。

 本の補充と交換を終えると優美はコーヒーを淹れてくれた。

「ごゆっくりどうぞ」

 そう言って優美はまた仕事に戻っていった。優美と付き合い始めて次の春で二年になる。結婚しよう。そう言葉にするのは簡単だけれど、僕は結婚しようと言葉そのままに思うことはできなかった。先日、友達の結婚報告を聞いたこともあって最近は自分の中にある結婚願望みたいなものの糸口をくすぐられた気もしたが、結局は優美と結婚したいと具体的に思うことはなかった。

 次の誕生日で三十歳になる優美が結婚に焦っているような感じはしなかった。同棲はまだ始めていないが時々僕や優美の部屋で集まって泊まることはあった。だから僕も優美もそれぞれの生活の癖を理解していて、そのまま同棲しないまま結婚しても良かった。本屋でたまに話をする金澤さんのように食器の洗い方で揉めることはないと思えた。

 いまはただ結婚しようと思えない時期なのだろうと僕は思っていた。あと一年くらい経てば、三年間付き合えば自然と結婚しようと思えると踏んでいた。結婚という将来については見えなくても優美を僕はとても好いていた。




(第5話へ続く)




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