見出し画像

〈短編小説〉あれからの話だけど Bonus track 第11話


 就職活動をひとつもしないまま雇ってくれた本屋の仕事を急に辞めるのも申し訳なかったので本屋の仕事は夏まで続けることにした。思い入れがないと思っていた仕事はいざ辞めるとなると後ろ髪を引かれた。店長が「本棚を作りに行ってくれるところのお客さんからきみは好評だったんだけどね」と名残惜しそうに言うので、もう少しこの仕事を続けてみたい気分になった。

 店長は大きな書店で長く働いたのちにこの店を開業した。年齢は確か五十歳は過ぎていたと思う。大学生の頃からこの本屋はよく訪れていたが物静かそうなのに存在感のある店長は近寄り難くて、でも並んでいる本がいつもその時の自分に合っていて、行くと必ず欲しい本がそこにあった。ちょうど気になっていた本が本棚に並んでいて、バーコードがなく流通が少ない本のはずなのにそれを選んで並べたのが店長だと知って、僕は思い切ってその時初めて店長に話しかけた。

「なんで僕の欲しい本ばかり並んでいるんでしょう」

 いま思えば、その本を買えた興奮のまま訳の分からないことを言ってしまったと思う。店長は表情を変えずにこう言った。

「僕と君の感覚の流れが似てるのかも知れないね」

 読みたい本は流れるようにその時々で変わっていく。そこに置いてある本は変わらずにそこにあるのにね。川みたいでしょ。僕は川を作ってるのかも知れないよね。君はその川の流れをよく見ているんだね。店長はそう答えた。

 それから店長と時々話すようになった。就職活動をまるでやっていないことを話すと、本当に行き場がなくなったらここに来てもいいよ、と言ってくれて行き場を見つけられないまま本屋で働くことになった。

「それで、村上さんのカフェで働くってことは結婚するってことなんだ?」

 店長が僕に聞いた。

「そうかも知れないし、そうじゃないかも知れません」

 優美のカフェで一緒に働くということは僕たちの関係性を知っている人にとってはもうすぐ結婚するんだと思うのは当然だと思ったけれど、優美がすぐに結婚するつもりではないとどうやって説明すれば分かってもらえるか分からなかった。

「じゃあもしかしたら君がここに戻ってくる可能性もあるってことか」

 店長は嬉しそうに顎をさすった。

 あるかも知れませんね、と僕は言った。戻ってくる可能性について追求してこない店長の態度が心地良かった。

「いつでも戻ってきなよ、とまでは言わないよ。君もここにずっといる訳にもいかないんだろうから」

 お店に届いたばかりの本の手触りを確かめた。それから、優美とこれからどうしたらいいのかと考えていた。




(第12話へ続く)



もしよろしければサポートお願いいたします。