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日記・ YOASOBI『もしも命が描けたら』感想

 本日12月1日より配信が始まった『THE BOOK 2』収録の『もしも命が描けたら』を聴いた。


 そしてとてつもない後悔に襲われた。舞台を見ていないことに。

 この曲は同名の舞台『もしも命が描けたら』のテーマ曲だ。出演、田中圭、黒羽麻璃央、小島聖。作・演出が鈴木おさむ、アートディレクションが清川あさみの舞台だ。

 僕はこの舞台を見ていない。でもこの歌を聞いて物語の真相にふれた気がした。

 初めて楽曲を聴いた時、いままでの YOASOBIの楽曲とはニュアンスが違うことにばかり気を取られていたが、歌詞を追い、その調べを細やかに聴くと段々とその全貌が見えてくる。

 これはもしかすると YOASOBIの音楽の中で一つの完成形なのではないかと思わされた。「novel into music」が指し示すいくつかの形の中で極められた一つではないかと思う。

 原作にふれたい。『もしも命が描けたら』を聴いて強くそう思った。原作への橋渡しをすること。これは「novel into music」の醍醐味の一つではないかと思う。

 それから、楽曲そのものが原作の形をまとうこと。確かに僕は原作の舞台を見ていないけれど、楽曲を聴いて一連の舞台を見たような気持ちにさせられた。原作が楽曲へと形を変えてもイコールに近づくことが「novel into music」の行き着く先のうちの一つなのではないかと思う。

 この2つの要素の極まった形が『もしも命を描けたら』だと思う。

 「限りなく原作=楽曲に近づけること」というのは単純に物語をなぞるだけでは叶わないと思う。物語を咀嚼し消化してもう一度新しい形に描く。そういう営みなのではないかと楽曲制作の過程を想像する。

 特に『もしも命が描けたら』については原作が舞台だから、楽曲を聴いて想像するしかないビジュアルは余白として残る。楽曲と原作をイコールに近づければ近づけるほど物語の視覚的な情報を渇望する。

 物語の答えはなんだったのか、真相は、どんな形で描かれ、終わったのか。楽曲が完璧であればあるほど楽曲では説明できない物語の真相を突き止めたくなってしまう。

 どうやって原作にふれればいいのかとやきもきしていると、舞台『もしも命が描けたら』の全容を収めた『悲劇喜劇』1月号が12月7日に発売するようだ。


 ああ、それでも。どんな舞台だったのだろう。楽曲『もしも命が描けたら』を聴けば聴くほど想像が掻き立てられて、自分の中でその物語が立ち上がってくる。

 『もしも命が描けたら』、それはきっと自分の命と引き換えに他へ命を与える物語。












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