日記・マクドナルド嫌いの孤独を僕は救えなかった
子どもの頃、AETで来ていた外国人の英語の先生が「マクドナルドが嫌い」と言ったのを、ふと思い出した。
当たり前といえば当たり前だが、見た目や出身地で食べ物の好みがすべて決まるわけではない。ただその時の自分はふたつの意味でびっくりした。
確かアメリカ出身だったその先生は自己紹介でそう言った。先入観でびっくりしたのもそうだし、公然と"I don't like McDonald's."と言う人を初めて見たのでびっくりした。
マクドナルドを好きとは言わない人はいるかも知れないが、嫌いと言う人は少ない気がする。「野菜嫌い」とは聞くが「ハンバーガー嫌い」とか「フライドポテト嫌い」という言葉は聞かない。
自己紹介なんかの場面では、わりと分かりやすい好き嫌いの話を僕はしてしまっていたと思う。
だいたいのものは食べられるので「嫌いなものはない」と答えていた。でも最近、なんでもかんでも好んで食べられるのではないことに気づいた。
嫌い、とまではいかないが、僕は卵かけご飯が苦手だ。卵かけご飯も苦手だし生卵も苦手だ。
卵かけご飯が「日常の中のごちそう」のように取り扱われるところを見てきた。専用のしょうゆがあるとか、卵をかける時はご飯に穴を開けるとか、色々工夫があるらしい。
しかし僕はどうしてもおいしそうには見えない。I don't like TKG(Tamago Kake Gohan). あの時のAETの先生を思い出す。
生卵が苦手というのはマイノリティと思われたが、ついこの前に同じように生卵が苦手という人を見つけた。思わず握手したいと思った。
ただ生卵が苦手という共通点を見つけられただけで、僕はその人が旧友のように思えた。僕はこの惑星にひとりぼっちの生卵が苦手な人類ではなかったのだと、孤独感がまるっきり吹き飛んでいくのを感じた。
もしかしたらAETの先生は同じようにマクドナルド嫌いの人を探していたのかも知れない。パンとパンの間に肉が挟まれているのが許せないとか、フライドポテトがサイドメニューだなんて認めないとか、そんなことを話したかったのかも知れない。
それで自己紹介に「マクドナルドが嫌い」と言ったのだ。それは救難信号だ。仲間だけを見つけ出すための孤独な暗号だ。
僕はその暗号をついに解読できないまま気づけば大人になっていた。AETの先生の救難信号はあまりに難解で、その孤独を誰が癒し得ただろう。
給食の時間、4人1組になって生徒が食べている机で一緒にAETの先生が食べることがあった。
誰も彼もがAETの先生となんの話をしたらいいか分からなかった。傍目に僕はAETの先生の孤独を感じて、そのさまを直視できなくなってしまった。
ああ、もし僕が「マクドナルド嫌い」だったらAETの先生の孤独を取り払うことができたかも知れない。
もうずっとずっと昔のことだけれど、いまだにあの孤独な姿を思い出す。学校の中でどんなに孤独を感じていただろう。
名前を覚えていたのでなんとなくGoogle検索にその名前を入れてみたが正しい情報はなにひとつ出てこなかった。孤独は癒やされただろうか。
アメリカでは生卵を食べる習慣がないらしい。僕がもしあの時に"I don't like raw eggs."と言ったならば、僕はもっと早く2人分の孤独を埋められたのかも知れなかった。
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