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〈短編小説〉あれからの話だけど Bonus track 第10話


 夕方、本屋に戻って佐倉真琴と別れると店長に言って早めに仕事を上げてもらった。優美に会うために電車に乗って優美のいるカフェへと向かう。本屋の最寄りの駅から二駅、電車は時刻通りに動いていた。駅から駅への時間は時刻表通りで僕がどんなに焦っても電車は少しも早く着かない。着くためには待つしかないのがもどかしかった。

 優美のカフェに着くと客はまばらで、ちょうど落ち着いた時間のようだった。カウンターの中にいる優美は顔を上げると僕を見た。急に僕が来て驚くかと思ったが、まるでいつもこの時間に来る常連のお客を見るような、そんな顔をしていた。

「優美、待たせてごめん。結婚しよう」

 カウンター越しに久しぶりに優美を間近で見た気がした。

「ありがとう。でもね、いまはまちくんと結婚するのやめたんだ」

 そう言って優美は笑った。諦めのようにも見えたし、諦めを越えて達観しているようにも見えた。

「私もまちくんと会っていない間に考えてみたんだけれど、焦っちゃったんだよね。私はただ結婚したかっただけで、まちくんはまだ二十四歳で、私はもうすぐ三十歳で、生きてる時間が違ってて。でももうすぐ三十歳だからなんなのって感じ。まちくんは私がもうすぐ三十歳だから結婚したいの? そうだとしたら私はいまのまちくんと結婚したくない」

 それにいま浮気してるって聞いたけど、と優美は付け足した。金澤さんが言ったのだと思った。でもそれは僕が悪かったのだ。友達みたいなふりをして僕は佐倉真琴と会っていた。

「なんて説明したらいいか分からないけど……」

「大丈夫だよ。若い女の子にまちくんが取られるなんて思ってないよ」

 笑いながら、私もうすぐ三十歳なんだから、と優美は言った。

「まちくん、いまの仕事って続けたい?」

 唐突に仕事について聞かれて、僕は迷いながら自分の気持ちを探ってみたが、そこまで深い思い入れがある訳ではなかった。

「長く続けるイメージはしたことがなかったから、そんなには」

「じゃあうちに来なよ。ここで一緒に働こうよ」

 ちょうどその時、カフェの入り口のドアが開いて新しいお客さんが入ってきた。

 いらっしゃいませ、と言う優美につられて僕も思わず「いらっしゃいませ」と言ってしまった。その瞬間、優美とこのカフェで一緒に働いているイメージが湧いてきて、それはとても幸せなことのように思えた。

 優美と顔を見合わせて、優美も僕と同じことを考えていると、その時なんの根拠もなく思った。根拠のない幸せの予感に、優美の屈託のない笑顔を久しぶりに見た。




(第11話へ続く)



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