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散歩の語源


「散歩の語源って知ってますか?」

とある日の月白で、連載「すべてのひとに庭がひつよう」でも度々登場するTにそうきかれた。これといって目的のない歩行というイメージから、読んで字の通り散漫な歩行というほどの意味だろうか、とその答えを待っていると、

「昔、中国の医学では、あえて毒を飲むという習慣があったそうで、その毒を散らすために歩いたことが、散歩という言葉のはじまりらしいです」

と、そう聞いて、私の普段している散歩も、思えば自身のどうしようもない鬱気質を、どうにかまぎらわすためにはじまったことを思い出した。それは今でも続いている。またそのようにして歩いてきたことが、今の庭師の仕事に深く関わっていることに思いあたって、これを連載に書こうということにその場で決まった。
そうして書いた第13回「この道」を振り返れば、散漫な歩行よろしく、真っ直ぐな一本道というよりは、様々な道へと分け入っていくような一篇となった。以下はその一節である。

"思うに、これまでの生涯に吸ってきた花粉が、ある閾値を超えた辺りで花粉症を発症するように、散歩もその閾値を越えれば、人をして庭をつくらしめる病を発症するということがあるのではないだろうか。少なくとも私はその口である。だからもし、あなたはどのようにして庭師になったのか、と誰かに尋ねられることがあったなら、きっとこの道を歩いてきたからだと、正直に答えるだろう。そうして、あなたも歩くひとならば、いずれ庭師になる日もそう遠くないかも知れない、あるいはすでにその兆候があらわれてはいないか、ときっと問い返すことにもなるだろう。"

以上、すべての歩くひとへ。
詳細は以下のリンクから、
第13回「この道」をご一読ください。

https://note.com/sogensha/n/nc38bbef2379c

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