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100日後に年越すオレ 76日目「ゐ:田舎」

”いろは順”エッセイの二十五日目、本日は”ゐ”です。

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"ゐ”で選んだ題材は、「田舎」。旧仮名遣いの”ゐ”(ウィ)は、現代仮名遣いでは”い”に置き換えられていますが、”ゐ”から始まる言葉はいくつかあります。「藺草(イグサ)」「威張る」「井守」「居る」、そして「田舎」です。

ちょうど先日、このエントリーが”増田(はてな匿名ダイアリー)”で話題になっていました。

まあ内容はタイトルが全てなんですが。都会で生まれ育った人にとって、田舎で暮らすことはどれだけ辛いか、という話が心の叫びのように描かれています。孤独感が元凶でしょう。ヒトケの無い近所の風景に、どこにも頼れる人が居ないという心理的な不安。東京に居ると気付かない感覚に気付かされるということでしょうね。

と同時に、僕はこの記事も思い出していました。

今や大人気パーソナリティーであり、コラムニストであり、女性代表としての顔を持ち始めたジェーン・スーさんが7年前に書いたブログの記事。これは前者の増田と同じく”東京生まれ東京育ち”の人が、田舎に転勤するのではなくて上京してきた地方出身者(≒田舎者)について書く、というもの。またその記事の中で自身がニューヨークに行って”地方出身者”側になったことも書かれていたりするんです。こちらの内容についてもとても考えさせられるので是非読んで欲しいんですが、本題はまた別にあります。

「都会」「田舎」という構図について、です。どっちが良くてどっちがダメか、という議論は結論が出ないので置いておいて、構図だけ見てみると・・・

①都会:東京 vs 田舎:日本の他の都市(例:沖縄)

②都会:ニューヨーク vs 田舎:東京も含めた日本の他の都市(例:沖縄)

③都会:沖縄県那覇市 vs 田舎:沖縄県石垣市(石垣島)

④都会:石垣島 vs 田舎:与那国島

というように、比較対象が変わると「田舎」なのか「都会」なのかが変わっていく。ニューヨークから見ると東京は田舎で、東京から見ると沖縄は田舎で、沖縄の那覇市から見ると沖縄の石垣市は田舎で、沖縄の石垣島から見ると沖縄の与那国島は田舎なのだ。そりゃ比較なら当然、と言いますけど、つまりは同じ日本人においても「都会」「田舎」という軸はバラバラなのだということでしょう。昨日のnoteにも書きましたが、僕は那覇市首里出身なので、沖縄県内では完全に”シティボーイ”であるものの、東京や地方中核都市から比較すると”田舎っぺ”となるわけですね。

とここまで考えていくと、いったい「田舎」って何なのでしょうか。上の記事でジェーン・スーさんは「帰る場所、故郷」と定義しています。確かに「お盆休みに〇〇の田舎に帰る」なんてよく聞きますよね。となるとやはり場所対場所の比較が必要になる??
とはいえ自分のことを「田舎もんだから」なんていう人も居たりして、ますます分かり辛くなりますね。ま、結論としては結局はその人がどう思うか、どういう意図で「田舎」という言葉を使うかなのかなあと思いました。

ちなみに僕自身としては、ジェーン・スーさん寄りの見解です。そういう意味ではちょっと寂しいなと思うことがありまして。
二年ほど前から祖母と母が上京してきて、今は僕の近所に住んでいるんですが、実家のマンションを売りに出してるんですね。それでそのマンションが売れたら、いわゆる「帰る場所」は沖縄に無くなってしまうわけです。
そういう人って結構居ると思いますし、もっというと昔から住む場所が点々としてた人にとっては「自分の田舎」の定義って難しくなりますよね。
僕にとっては「帰る場所」は無い、もしくはうちの近所に住んでいる母や祖母のマンション?になり、故郷は沖縄のままということになるでしょうか。

うーん、ますます分かり辛くなってきてしまいました。結局「自分にとっての田舎は〇〇です」という自分自身の”決め”の問題なのだろうなあ。

最後に、僕が18歳で上京した際には、どうにもこうにもこの曲が耳に残り離れられないのでした。

「東京」というタイトルがついた名曲は他にもたくさんあるけれど、僕にとってはくるりのこれ、ですね。あ~、ライブ行きたいな~!

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