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還暦の自画像

みどりさんは59歳の女性 。11/30に亡くなった。

1年前に夫を自宅で看取り(緩和ケア診療所いっぽで)、すぐ自分もがんと診断され、半年間、外来通院し、7月から訪問診療開始 、10/20 美人林に日帰り旅行した(俺も連れて行かれた(汗))。外出はもう無理かな、、、という10月末、親友の薫ちゃんが「還暦の自画像」というチラシを持って来た
北海道の六花亭主催の企画公募展だ。洋画、日本画、版画等ジャンル不問、1月から4月に公募 応募作品はすべて4月下旬開館日~10月中旬閉館日まで北海道の中札内美術村に展示されるというプロアマとわない公募展だ。薫ちゃんは
「これに出展して、北海道に行こう!」と次なる生きる目標を提案した。
みどりさんに絵心はない。どうやって自画像を描こうか?北海道いいねえ〜。
まずは鉛筆デッサンから始めてみようということになった。早速みんなでスケッチブックや鉛筆をそろえた。そしてすぐ1枚目の自画像が出来た。もちろん絵は初心者だが、なんだか味がある。
「北海道に行く」が最初の目的だったが、4ー5ヶ月後の北海道。現実は行けなそうもない。俺は賞金が目に入った。

最優秀賞 60万円(1名)
優秀賞  30万円(2名)
入  賞 10万円 (3名)
養命酒製造賞  若干名

「入選して、みんなでパーっとやろう!」
彼女は前年に夫を亡くし、独身独居。広い自宅で訪問看護ステーション看護師、ヘルパー、妹のちっくん、親友の薫ちゃん、友人、ケアマネージャー、訪問薬剤師などがやって来て独居を支えている。
入賞賞金で食事会。正直病状からは北海道には行けない。勿論本人もわかっている。でも希望を持って生きるみどりさん。俺が勝手に目標を「北海道旅行」から「入選して在宅ケアスタッフの食事会の資金稼ぎ」に変えちゃった。
どうしたら、賞金を手にできるだろう。
一枚の絵ではコンペで勝てっこない。
鉛筆でのデッサンをいっぱい描こう!
30枚くらいのデッサンを集めて並べて一つの絵にしよう!
そんなアイデアを俺はだした。
毎日一枚描きましょうよ!  日付はちゃんといれてね!
11月から1日一枚の鉛筆デッサンが始まった。彼女は恥ずかしくない作品を作りたい。真剣にデッサンに取り組んだ。
毎週みせてもらうと、味がある。
毎日違う自画像が仕上がった。本人は全て「練習よ」というが、その日によって表情が違う。デッサンの出来の違いか、体調の違いか、心の様子の違いなのかわからないが、その変化がいい。やはり一枚勝負ではなく、多くの絵で、変化と進化(上達)で勝負だ。
「宴会の資金調達、お願いしますね!」なんてハッパをかけ、彼女も
「わかった! 頑張るわ!」なんて明るく答え、中断する事なく毎日鏡を見ながらデッサンを続けた。
週一の訪問診療の時、絵を見せてもらう事が日課になって来たが、早くも3週間目、日付がおかしくなっていた。絵もだんだんバランスが悪くなり、福笑いのようになって来た。
ああ、もうすぐなんだな。
もちろん訪問診療の時は気合いが入っているのでシャッキリしているが。夜はおかしなことをいうようになったらしい。
最後に会ったのは、妻と自転車で寄った日曜日。外来通院していたので面識はあった妻とは久しぶりの対面だった。30枚を超えるデッサンを見ながら二人で4ヶ月ぶりの再会を楽しんでいた。
数日後、みどりさんが亡くなった。
絵を描き始めて1ヶ月くらい経った頃に。
ちっくんと薫ちゃんがベットサイドでお喋りをしている間に呼吸が止まっていたそうだ。
最後までポータブルトイレに行き、オムツを使ったのは1日だっだ。訪問看護師に手伝ってもらって毎日入っていた自宅の風呂も亡くなる数日前まで継続していた。あっぱれな最期だった。

スケッチブックは俺が預かった。
展覧会の公募は4月締切。 妹さんが応募すると一枚のデッサンを送るだけになってしまう。俺のアイデアは30枚くらいのデッサンを一枚にまとめて一枚の絵にする、、、、はずだった。
スキャンして、繋げればいいだろう。なんとかなるだろう。
「応募は俺がやります。制作費も俺が持ちます。そのかわり入選したら約束通り賞金で、みどりさんの在宅ケアに関わったメンバーで食事会をしましょうね」と再確認し、妹さんの許可を得て、スケッチブック2冊と応募要項のチラシを持って帰った。
3月になった。 そろそろ「還暦の自画像」応募の締め切りが近ずいてきた。
自分でスキャンして、絵をデザインする事はできそうだが、印刷が出来ない。出展サイズが決まっている。俺のプリンターではサイズが足りない。拡大コピーして、コピー用紙で応募か? 仕上がりもイメージ出来ない。誰かに手伝ってもらわないと(応募)出来ない、、、、やはり自分でやるのは大変だ。どこに依頼しようかな、、、、と思っていたが、ずるずると3ヶ月経っていた。
いつも妻には「ギリギリ人生」とからかわれる。なんでもギリギリまで手をつけないからだ。
「いいだろ、いままでなんとか、これでやってこれたんだから!」
と反論するが、いや、実は何度もギリギリで失敗しているのだが、失敗は忘れちゃう能天気な俺でした。

そんな時に、入院中の患者さんに病院に会いに行った。「退院支援」といい、退院後の自宅での生活に不安があり、病院への予約外来通院だけでは支えきれないと病院側が判断した時に我々訪問診療医に声がかかる。俺はその中でも自称「在宅緩和ケア医」。がん患者さんの退院支援の依頼がくる。そして退院する前の本人家族に、病院へ会いに行くのだ。
今回の患者さんは、ますみさんというデザイナーだった。彼女の願いは「退院して仕事をしたい」。食事はできず点滴で生きている。個人で事務所を構え、デザイナーの仕事をしている。
退院して外来通院が2週間たち、自宅での生活に慣れ、リハビリも進み、そろそろ職場に通勤したいと言い出した。勿論そののための自宅での生活を指導して来た。
「仕事、あるんですか?」
「少しあるんです♡」
凄い。個人事業主は仕事が出来る人じゃなきゃ、仕事は来ない。長期間入院してたのに、まだ仕事があるんだ!
「実は、、、、」
と、みどりさんのスケッチブックのデッサンを展覧会に応募したい話をだす。
「いいですねえ〜、出来ますよ! 手伝ってくれる仲間もいるし、、、いいもの作れると思いますよ!」
とすぐに自分のアイデアを語ってくれた。
「請求は萬田診療所でお願いしますね」
「わかりました、すぐに見積もりだしますから!スケッチブックすぐ下さいね!」。仕事の顔はちょっと違う。
すごくホッとした。どうやって形にするか。このままスケッチブックのまま返すのは、みどりさんと妹のちっくんに申し訳ない。かといって、、、適当な形で応募するのも、全部自分でするのも大変だし、、。
ますみさんは訪問診療ではなく週一回の外来通院を継続するようになった。診療が終わるとすぐビジネスの話しになる(汗)。調子に乗って診療所の看板も作ってもらった。
あっというまに試作品ができた。ほんの少しの修正を依頼し、そのまま張りキャンバス(木枠に布がはってあるやつ)仕様に印刷し仕上げてくれた。一枚の絵みたいだ。俺が考えていた仕様とは数段上の立派な作品が出来た。これならいけるぞ!
俺はもちろん入賞が頭にちらついた。妻には「養命酒がもらえそうね」と笑われたが。
応募して、ちっくんに報告する。制作費を払うと言うが、お断りする。そして念を押す
「僕の勝手なアイデアなので制作費は萬田診療所で持ちます。そのかわり、約束通り入賞したら賞金は宴会に使わせてもらいます!」

そして、一か月半後、、忘れてた頃、、、昼飯時にかかってきた電話に対応終えた妻がウルウルしてた。
「、、、、みどりさんが、、、優秀賞とったよ、、、(涙)」
まじかよ! まさか本当に取るとは思わなかった、、。こんな嬉しいニュースは滅多にない。
すぐに在宅ケアスタッフ(訪問看護ステーションオールケア)ちっくんに報告。勿論ぶったまげてた。ますみさんも大喜び。そして約束通り5月末、みどりさん主催の宴会が開かれた。参加者17人。関わったスタッフ家族全員が集まって飲み放題食い放題。勿論みどりさん(遺影)も参加。
俺は応募用紙に「亡くなる1ヶ月前から数日前のデッサンです」という内容を書いた。これが一番入選するために重要なポイントだと思って真剣に書いた。そして、それが効いて優秀賞をゲットしたと確信していた。しかし、入選の手紙にはこう書いてあった。

「故みどりさんの入選おめでとうございます。、、、、、、、なお審査員には作者が亡くなっている事は伝えずに審査した結果でございます。」

みどりさん、実力で入選したんだ、、、。ますみさんの力を借りて。

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