モラトリアムを楽しむ

今自分がしたいこと、心が揺れる方に向かって生きていきたいと常日頃から思っているのですが、そうもさせてくれないような世界がスマホの中には広がっていますね。

スマホに限った話ではありませんけれど(書籍もそうだし動画もそうだしテレビもそう)、なんていうんでしょう、中学生から20代前半のみんなが生き急がされているような、そんな感覚を覚えます。

今のうちに◯◯するべき!とか、◯◯なら××をしておけ!とか、△△歳のうちにするべきこと5選、みたいなそういうやつです。

別にそれでもいいと思うんですけど、それまでの過程を考える間も無さすぎるような気がして、少し居心地が悪いなと私は思います。

積立NISA、若年層から流行っていますし
イメコン系の診断も、早ければ高校生くらいからやってますよねきっと。

もちろん、それがその人を豊かにしているからやっていることだと思うので、否定する気はないのですが、別にもう少し後になってから、よりそれが活かせる年齢になってやってもいいんじゃないのかなって思ってしまいます。

学生のうちには学生のときにしか出来ないことが山ほどあって、同じことを社会人になった時に同じ熱量で楽しめるかと言えばそれは否定します。

どんな人でも、自分のやりたいこととと周りに求められること、その狭間で一生揺れることになると思うのですが、
その自分のやりたいことの部分、自分が何を大切にしたいかの部分は、大人になって見つけるのは結構難しいです。

大人になったとき、否が応でも周りにどう見られるかは考えなくてはならなくて、意識は外側と内側により明確に分かれていきます。それは悪い意味ではなくて、いい意味でメリハリがついてくるということです。

ただ、そのメリハリは自己の中にある内と外を認識していないとつけることができません。
内側の自分は、過去の自分が創り上げたものでしかない。だから、若いときには自分の好きなことを着て、好きなものを見て、好きなものを聞いて、好きなものを食ったらいいです。

大人になったとき、その好きだったものが助けてくれることがたくさんあります。

綺麗事などでは決して無く。
学生時代、若い時にしかできないモラトリアムを楽しんでいきましょう。

泣くのも悪いことじゃないよね!

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