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選択することについて

選択肢がたくさんある気がすると、かえって選べなくなる。すべての選択肢を選んだ場合のことを想定していると、あっという間に頭がパンクする。例えば和洋中すべてのメニューを取り揃えた飲食店は、多人数で行く場合はありがたいけど、ひとりで入店したら選択にすごく時間をかけてしまう。

選択肢が少ない方が、色々と考える労力を割いて決断ができるので楽だなぁと思う。紙1枚におさまる程度のメニューしか無いちいさなカフェや、6メニューくらいしか用意がないけど安くて提供の早い居酒屋のランチメニューとか。選んだ気分になるけど、少なめの比較検討で決定できる。

普段の飲食店のメニュー選びであれば、選択への後悔は少ないと思う。こと就職先選びや結婚相手選びの場合、複数の選択肢から選ぶことができる状態であった場合や「逃した魚は大きい」状態であった場合、選択への後悔を持ちそう。あの時あちらを選んでいれば、あの時あの人と別れずに結婚していれば、等々。

だから後悔を少なくするには、選択肢がある状態より、選択肢がない状態のほうが良いのかもしれない。自分にはひとつしか選択できることがなかったと思えば、「あの時あちらも選べたのに」と思ってしまう苦しみを抱えずに済むからだ。

でも、比較検討できる選択肢のないままに答えを押し付けられて、それしか選べない状態でスンナリ「受け入れよう」と思うことも難しいと思う。「他の選択肢も見たい」と思ってしまうだろうから。たとえ自分の選択肢の俎上に上ることがなくても、他に何があるかを知っておくことで、自分の選択が客観的に見てどういうものか冷静に受け止める心ができるだろう。

だから一番良いのは、選択すべきものについて、取り巻く環境や存在する選択肢となりうるものを常日頃から情報を収集しておき、いざ決断するときに「これだ!」とすぐ決められるように決断用の基準みたいなものを保持しておくことなのかなと思う。

いきなり選択肢が目の前にバン!とあらわれたら、情報収集しつつ自分の中での決断軸を固める作業を急ぎで行わねばならないから「もう少し余裕を持って考えられたらなぁ」と後で思ってしまいそう。とはいえ、すぐに結論を出さなければいけない時は、追い詰められた人間だけが出せるパワーを使って、普段以上に頭を回転させて悔いなき選択ができるような気もする。

人生の選択は、後でいろんな経験をしたりいろんなことを知る事で「あの時ああいう選択をしても良かったな」と思ってしまうものなんだと思う。「そういう事は、どんなことをしても起こりうる」と割り切って受け入れて、後で思い出しても「当時の自分は、選択に最良を尽くした」と解釈して、未来を変えることが良いのかなと思う。

選択するときに「本当はこちらが良いことは分かっているけど、選択できないからもうひとつのほうを選ぶ」と思った場合、もうひとつの選択へ後悔して過去を見返してしまうのかもしれない。その場合は、時間の経過とともに過去を遠い遠い場所へ追いやるか、かつての自分が本当に選びたかった選択肢を取ることでしか供養できなさそう。

「あの時ああすればよかった」という気持ちは強い執着となり、今この時に生きている自分の時間を過去に留まらせてしまい、苦しくなってしまうだろうから。そして、今この時に起きたイベントがトリガーとなり、無意識レベルで「選べば良かったもうひとつの選択肢」について思い出してしまったりするのだろう。

何かを選ぶ時は、何かを捨てることになる。両方拾い上げる事ができれば良いのに、と思う。

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