子供を授かるのも「多生の縁」
「袖(そで)振り合うも多生(たしょう)の縁」というように、人と人との出会いは縁によるもの。しかも、それはその場限りの縁でもなく、この一生に限られた縁でもなく、多生の縁なのです。「多生」とは多数の生涯、つまり前世からの縁、何度も生まれ変わる中で深まった縁ということ。それだけ縁が、道行く人とすれ違うだけでも有るということは、家族に生まれ合わせるなんて、ちょっとやそっとの縁ではない、よほどの縁が強く、深く結ばれてきたからこそだと言えます。
そう思えばこそ、子供というのは親の造作物なんかではなく、不思議な縁によって授かった物です。見た目は赤ちゃんだったとしても、そこに宿っている魂は、これまでに無数の命を経てきています。もしかしたら、親よりも子供の魂の方が立派で、大ベテランである可能性は十分に考え得ること。よって、子供を授かるというのは、親という一人の人間が、子供という一人の人間と運命的な出会いを果たすことであり、決して親が子供をつくった訳ではなく、まして子供は親の私物なんかではないのです。
今日は息子の誕生日。去年に比べると格段に言葉が上達し、コミュニケーションも取りやすくなりました。もちろん、その分だけ「自分」というものを確立させていますから、親子の摩擦もそれだけ増えています。こうなると親の都合だけで生きていくことは不可能で、子供と交渉しながら、譲り合いながらの生活です。しかし、ルールやマナーは守らせないといけないので、そこは一歩も譲らず、毅然と子供に諭しています。そうやって人間としての成長を促しながら、更に「自分」を確立させて一人前の大人になって欲しいものです。
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