見出し画像

ぐるっと一週した感覚

3月末にフランス語の初級レベル修了試験を受けた。去年の1月から始めて3冊の本を終了した後の試験だった。今は7月12日だからほぼ3ヶ月前のこと。その後何を思ったか3ヶ月間の中級クラスを集中的に受けた。今日の授業を終えてあと残り1回となった。月曜日に全てが終わる。

外国語の学習というのはもちろん母国語でない言葉を学ぶことなのだけど、背景にある文化や考え方を同時に知ることになる。一昨日のことフランス語の接続法という概念を学んだ。先生によるとラテン語系の言語にしかない概念で、以前大学で学んだ時にはよくわからなかった。意味はわかるが体感的に腑に落ちていない感覚だった。日本人とフランス人に習ったけど日本語と英語で習ったからわからなかったのかもしれない。


世界共通語は当時も今も英語であることに変わりない。当時大学では第一外国語だったけど、専攻は化学で当時から論文の99パーセントは英語で書かれていた。フランス語は150年前なら論文書くのに必要だったかもしれないが、長い間英語のように仕事で使うことはなかった。もちろん英語だって難しい。でも名詞と形容詞の性数はない。英語と日本語は言語的に違う部分が多いからマスターするなんてことはありえないことが学べば学ぶほど感覚的にわかってくる。道具として使えればいい、と早い段階で切り替えてそのままずっと10年以上過ごしてきた。道具に美しさを求めない状態。英語、雑に扱ってきたかもしれない。

さて、接続法というのはいくつか使い方があるのだけど、日本語にない面白い概念として、感情を伴う主観的な表現のための文型がある。例えば私はあなたが私を助けてくれると嬉しい、という文章では助けるという動詞を接続法で表現する。(フランス語に翻訳したらこの部分が接続法に切り替わるのが興味があるが、どうなんだろう?)これまで習ってきた直説法現在形や直説法複合過去形などはいずれも客観的な文章を記述するのに使う。日本語には直説法と接続法の違いがそもそもないから全く理解できなかった。少なくとも大学生の時には1番最後に習ったこの内容は丸暗記して試験に臨んだ記憶が朧げながらある。

今週フランス人の先生に習ってはじめて腑に落ちる感覚があった。フランス語で説明してくれたから感覚的にわかったのかもしれない。あ、これは面白い、という感覚だった。なんかカッコいいなぁ、という感覚はX線結晶構造解析を初めて知った時の感覚に少し似ている。

そんなわけで道具としての言語以上に興味が出てきた。使いこなすには練習が必要だとは思うが、この面白さをシェアしたい感覚がこの数日で湧き上がって来た。面白いことは人に伝えたい。これって誰もが思うことじゃないだろうか?学習を始めてから今月でちょうど1年半。最低学ぶと決めた3年間の半分が過ぎたことになる。

アテネフランセの総合講座の中級クラスは本来ならば1年と3ヶ月かけて学ぶ内容だから通称カリキュラムより1年間早く過程を終えたことになる。学んだことが身につくにはもう少し時間がかかるとして、かけるはずだった1年を最大限有効に使おうではないか。夏の終わりが集中コースの復習の期限としてふさわしいけど、語彙を増やしたあとは次の上級レベルにどこかの段階で進むことにしよう。そして学んだことの実践のためにフランス語圏に旅をしたり言葉を使う機会を増やして話す練習時間を増やしていこう。(漢字文化圏だってなかなかだ。いつかまた中国語学習を再開しよう。いつかはこないから今年中に?)

そしてこのフランス語を学んでいる経験は教えるために役に立つ。中学生相手に教えている数学や英語、社会科にはもちろん役に立つし、言語が介在しない学びというのはほぼないに等しいから経験を何らかの形で伝えることを形にしよう。歴史は物語だし地理は旅日記だ。どちらも楽しいアクティビティ。そして理科は教えにくいけど長い間関わっててきた専門分野と近いからなんとかなるかもしれない。得意な科目ほど教えづらいので工夫や改良が必要なので気長に取り組むことにする。そして学校を作るというなんとなく浮かんだ目標はだんだん近くにやってくるだろう。だって教えていて楽しいことがほとんどだから。楽しく学ぶことを伝えるのが最も基本的で重要なことだから。学ぶ面白さを知った後、人は放っておいても学習を続ける。

昨日、いつものように個人指導塾へ行き中学生に英語と数学を教えた。

続く

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?