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初めまして・自己紹介

アーティストとして生きていきたいとN Yに来てから10年になります。
ビザの関係でスポンサー以外との仕事は今までできなかったのですが、晴れて仕事で永住ビザを取得したので念願だったオンラインの絵画添削サービスを始めることにしました。
自分が始めたサービスを多くの方に知ってもらうにはやはり人気のnoteがいいのかな、とnote始めることにしました。不定期になると思いますが、ここでは自分のアーティストとしての体験を書いていこうと思います。どうぞよろしくお願いします。

簡単な自己紹介

私は現在45歳で関東出身です。27年〜25年前に河合塾で2浪し武蔵美の短大の美術科に入学しました。数年前に日本の美術予備校のようなところに遊びに行かせて頂いた際に、自分の時代とあまり変わらない指導をされているの目の当たりにし、これでいいのだろうか、と思った次第です。関西の美大はかなり変革が進んでいると噂で聞いているので、これは関東に限った話なのではないかと推測してます。
美大卒業後、4大に編入はせず社会に早く出た方がいいのではないか(このままだと確実に社会に馴染めない人になるとなんとなく危機感感じてました)と思い、「働く」という選択をしました。
その後の細かいことは端折りますが、27歳の年に中高時代に部活を共にした仲間の一人が自死しました。とてもショックでした。彼女は美人でスタイルも良くお金持ちで、当時の私から見ると「幸せ」の基準を満たしているように見えてたので、「幸せとはなんだろうか」と考えるきっかけになりました。
自分にとっての幸せとは、自分の中にあるものを美術作品で表現することだと気づきました。それが自分が生き続けるために必要な幸せの種なのではないかと思ったわけです。
そこで小さな美術予備校に通い、浪人時代にちゃんと出来てなかったと感じてたことを克服しようと思いました。その時の自分はとても中途半端な人間だったのでそれを変えたいという思いがありました。10代の頃は自分の考えをあまり言わなかったので、その予備校では自分がやりたい絵について頑張って講師の方々に話そうと決めていました。しかし、自分の言い方が足りなすぎたのか全ての講師陣に匙を投げられ、最終的にはそこの学長も話してくださいましたが『悪いけれど、後藤さんがやりたいことが全くわからない(もう指導できない)』と言われてしまいました。なんとも言えない気持ちになったのを覚えています。
自分が指導する場合は、そのようなことは絶対に言わないと決めています。本人がやりたいのであれば何から答えがあるはずだからです。自分が例えわからなくても一緒に考えられるような心の余裕を持って指導したいと常日頃心がけています。
話が少し戻りますが、「自分を変える」という行動の一環でずっとやろうと思ってやってなかった歯列矯正もしました。歯列が整っていく様は、頑張れば自分を変えることができるということを体現しているようで勇気づけられました。

長くなってしまったので、NYに来るまでのこと、来てからのことは次回に書くことにします。


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