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アーティストステイトメント

アメリカでアート活動をする上でアーティストステイトメントはとても大事なものです。
アーティストステイトメントでは、自分が制作する上での考えや哲学などを述べます。私もまだ良いものが書けたという実感はないので偉そうなことは言えませんが、、相手に具体的に伝わるようにするのがキーのように感じています。
コロンビア大学の写真の授業で伺ったギャラリーの方のお話では、作品自体に面白みを感じなくても内容(アーティストステイトメント)が面白ければその作家を扱うそうです。それくらい大事なものです。

ステイトメント書き直す

過去何度か書き直しています。最近は英文に直す時には翻訳家になった昔から私のことをよく知ってる友達にお願いしています。
昨年末から今年初めにかけてアーティストステイトメント、ホームページ、名刺、全て作り直しました。
ここ数ヶ月で思い描いているアーティスト像が完全に出来上がりました。今まではほわーっとした感じでしたが、大きく考えが変わり、深く学んでいきたい「禅」に出会って具体的な道が見えてきました。
今まではどこに繋がるのかわからない長い長い道をひたすら、こうあったらいい、と思いながら進んできた感じです。そしてここ数ヶ月で、見たい景色がハッキリとして道の周りに景色が見えるようになった感覚です。
ということでステイトメントを書き直したいと今考えています。

話は変わりますが、
メディテーションをたまに色んな人から勧められます。
勧められるほとんどが、何か違うかもなと感じるものだったこともあり本格的に試すことはありませんでした。
禅は坐禅を通して学んでいくものだそうです。ということで最近とても坐禅に興味がありますが、なんとなく敷居が高い。。。
坐禅とメディテーションは違うものかもしれないけど、もしかしたら近いのでは?と思いつき、話で聞いてた中で一番しっくりきたメディテーションの話をしてた友達に聞いてみることにしました。
彼女は移民です。母国でメディテーションを始めたそうです。おそらくアメリカに住んで長いと思うのでメディテーション歴も長いはず。(彼女のメディテーションは心理学に基づいているもののようです)
その彼女がいうには、人によって違うから具体的に説明することは出来ない、それにその時々で異なる、だそうです。禅の基本も「人から乞うのではなく、自ら答えを見つけていく。また答えは変化していく」(※私の現時点の解釈)だそうです。友達の説明は予想外のものでしたが、禅もメディテーションも自分でやっていかなければならないということが理解できました。

アートも自分でやっていくものです。教わることはできますが、全て受け身ではアーティストにはなることは出来ません。今の関東の美大教育(関西は大分変わったと聞いてます)がどうなのかわかりませんが、日本とアメリカの美術教育の根本的な違いは「生徒が能動的に動けるカリキュラムがあるかないか」にあるのではと思っています。
能動的に動く時にこそ人は本当に楽しめると思います。そして本人の最大限の能力を発揮できるのは能動的に動く時だと思っています。「生徒さんが意見を言いやすい環境。生徒さんが必要なものや参考になりそうなものを提示する」が私の絵を教える時のモットーです。

何にでも言えることですが、人に考える余地を与えない(それが許されない環境)は不健全だと思います。そういった場所は今まで通り避けて生きていきたいです。

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