なぜ僕はメタバース王を目指すのか?出来そこないのアーティスト起業家の失敗続きの原体験
この物語の始まりのお話
なぜ、僕はメタバース王を目指すのか。
Web3.0が何故僕をこんなにも掻き立てるのか。
その全ては、出来そこないの僕の原体験からきている。
僕は10代から20代をバンドとデザインに捧げてきた。
厳密に言えば全てをバンドに賭け、音楽に捧げてきた。
爆音が身を包んでいるその瞬間が大好きだった。
ただただ曲をつくるのが好きで自ら作って歌いまくっていたら、「いいね」なんて社交辞令みたいな感想から徐々に「人生を救われた」なんて声もあちこちから聞こえるようになってきた。
好きでやっていることで誰かの人生まで好転させられるのかと、ただ夢中でやっていたことにいつのまにか使命を得るようになった。
順調なるデビュー
そして18だか19の頃に徳間ジャパンから初のスプリットアルバムなるリリースをした。以後、ポニーキャニオン等自主レーベル含め様々なレーベルからリリースをし続けることになる。
10代後半からバンド活動が本格化して、20代半ばに突入するころにようやくわかったのは「時間」がないとダメだということ。ライヴもあればツアーもスタジオ練習も曲作りもあって目に見える活動以上に割かなければならない時間が多いのだ。バイトなんてしている場合じゃない。
そして僕はバンド活動にも将来的にも、自らの社会的な立場としても有意義な道を模索しグラフィックデザイナーになった。バンド活動の為にフリーランスのデザイナーとして稼ぎ、その技術をバンドの制作物やブランディングに投下した。
毎日が音楽のことでいっぱいだった。
そのうちに、これだけ強い想いがあるのだから自分たちのことは全て自分たちで面倒みてやるべきだと思うようになった。当時の僕は自然とそう思ったのだ。
そして僕らをどうにかしようと思ってくれていた多くの大人と決別してセルフプロデュースの道を歩みだした。
そして大負けした。
世間知らずの未熟者にしては健闘したようにも思う。バンドとしてのアニメーターとのコラボレーションでは、ニコ動で爆発的ヒットを記録し、あらゆる芸術賞を総ナメにしたシュールアニメーションプロジェクトなどもあり一瞬道が開きかけた時もあった。
ただ、その道を切り開くアイディアと資金がなかった。
小さなアイディアをこねくり回して何かが大きく展開するわけもなく、気づけば資金もなくなり、勝ち方もわからない。資金がなければレコーディングのレベルも下がる。資金がなければライヴの演出もできない。それでも金はかかり続ける。それがバンドマンの現実だ。
そんな現実を目の前に、バンドの関係もギクシャクする。突破口を見つけようと足掻いてみたりもした。その全てがから回った。そして解散の雰囲気が漂って振り払えなくなった。
そんな最中、当時のドラマーから口火が切られる。僕は耐えられずその場から飛び出した。追いかけて「2人でまた1から頑張ろう」と声をかけてくれたのは18の頃から一緒にやってきた唯一のオリジナルメンバーのベーシストだった。
今思えばいいメンバーに恵まれていたなと思うのだけれど、当時は何か張り詰めた線が切れてしまったように感じていて、絶望のど真ん中だった。
そして僕はあらゆる全ての関係から行方をくらました。
その間、これまでの自分を全て精算するかのように、ノートがぎっしり埋め尽くされて真っ黒になるぐらい、生まれてからの自分を振り返った。
何故こんなにもまっすぐに人生に向き合ってるのにうまくいかないのか、理想と現実のギャップはなぜこんなにもでかいのだろうか。
当時27歳。遅すぎる内省だった。
それでも自分を見つめ直した時間は人生にパラダイムシフトを起こすような発見を僕にくれた。少なくとも当時の世間知らずの僕にはそう思えたのだ。
それは、世界はビジネスで回っているという真実だ。
僕はデザイナーとしてもアーティストとしてもその最も重大なOSがマインドになかった。いいものを作ればそれでいいと考えていた。
そんな自分を呪った。そして、その技術こそ今自分に最も必要だと確信した。
そして僕は、
音楽で再起する為に
音楽をやめてビジネスを学ぶと決意した
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