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映画/アメリカンサイコ(2000)/他人に興味をもつこと

皆さん、こんにちわ☺✨

 ここ最近の休日の過ごし方は、
ご飯🍚→買い出し🍅→ご飯🍚→このブログ書く✎→映画→ご飯🍚→就寝💤
と、まさに自粛生活を行っています。
 そんな中で、SNSの凄さをこの頃は実感しています✨
こんな殆ど誰とも会わない生活を過ごしていても、スマートフォンを開けば一瞬で世界中の情報や沢山の人の近況を知ることができます。SNSの拡大は様々な問題も問われておりますが、同時にやはりそれほどまでの魅力と利便性を持っている。この時期だからこそ改めてその力の大きさを日々実感しております。

 さて、今回はそんなお話にも関連した映画のご紹介です。
「アメリカンサイコ」(2000)*この映画は完全にホラー・サスペンス映画です!ホラー系が苦手な方はおすすめしません!

 この映画は1991年に出版された長編小説が映画化されたもので、現代のアメリカ社会(とはいえ20年以上前ですが・・・)の抱える様々な社会問題を風刺的に描いた作品です。
 一見お金持ちで世にいう❝エリート街道❞まっしぐらの主人公ベイトマン(クリスチャン・ベール)には快楽殺人者という裏の顔があり・・・というストーリです。笑
 映画の中では現代日本でも社会問題として度々取り上げられている性差別や各社社会、ステータス至上主義などの問題がとても極端に脚色されて表現されていますが、その中でも私が特に興味を持ったのが、

同調圧力とコミュニティへの順応がエスカレートすることによって「他人への無関心」が生まれてしまう、ということです。

 ベイトマンはウォール街の大手企業で勤務しており、役職も会社の中でも上です。そして、同僚たちとも「表面上」仲良く付き合っています。しかしながらそのコミュニティの中で本心を話せる友人はおらず、常に持ち物や名刺、どんなレストランに食事に行ったかなどでお互いを評価し合う浅はかな付き合いです。そのため、これはかなり極端ですが、ベイトマン含むそのコミュニティの仲間たちはだんだんと誰がどんな人間か、本当の意味で「誰が誰だか」わからなくなっていきます。持ち物や彼らの持っているステータスには興味があるものの、お互いのことに興味を持っていないわけです。

 この映画の中のベイトマンのセリフでこんなものがあります。
「本当の意味で、自分は存在しないのです」
このようなコミュニティの状態もあいまって、彼はこの恐ろしい快楽殺人をも止めることができず、どんどん自分自身をコントロールできなくなります。

 まさにこれは現代の日本社会にも通じるところがあります。SNSの「いいね」の数は、いまや「社会共通の評価」のように感じる現代、会社で働く中でも時に極端に「協調性」を重視する傾向があります。相手の意見を尊重し、まずは相手の考えを受け止める、それは社会人として模範となる行動の一つですがそれがエスカレートすると、

自分の意見がわからなくなってしまいます

 はたしてそれは、協調性を持った建設的なこうどうなのか、それとも自分の意見がない、もしくは存在しない状態なのか、時に私達はそれを同一のもののように、区別がつかなくなてしまいます。

 そんな中から自分たちを区別する、本当の意味で自分を見失わないためには、「相手に心から関心を持つ」ことが大切なのかもしれません。
 表面上で理解できる範囲ではなくて、相手の「中身」を知ること。そして自らも相手に自分の「中身」を知ってもらうこと。

同一化された自己と社会一般を区別するためには、相手との意味のある会話が大切なのだと、感じます。

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