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10年間履かれなかった装具

綺麗だけどボロボロの装具

先日、10年履かずにいたという装具を見ました。
その人は病院で装具を作ったのだけれど、本心では装具を使いたくなくて、退院後は装具を使わずに暮らしていた方でした。

でも、10年たち、足の変形が進み痛みで歩くのが大変になったので、装具はやっぱり必要だろうか…?という相談でした。

「装具はやっぱり必要?」
その質問に、本当は使いたくないという気持ちが強く現れていて、必要ですの一言を言うのにとても気を使いました。

嫌がられる装具の悩みどころ

医療者の評価では装具は必要だけれど、本人の心情を思うとグイグイと押すのもはばかられる。
そういう時の対応は、いまだにどうすればいいのか、毎回悩みます。

自分の中では
本人が困っている→できるだけ受けれて貰えるように頑張る。グイグイ行ったり、外堀埋めたりする。
本人が困っていない→引くことの方が多い。その場は引いて、後から定期的に押したり、様子を見たり。
本人は困ってないけど、家族が困っている→家族が困っていても嫌なものは嫌!と言う人は多いです。本人の好きにさせてあげたいと思うけれど、家族の願いも捨て置けない。家庭内パワーバランスによりけり。
という感じです。

今回は、本人に困りごとができているし、10年前のこんなのいらねーよから、あった方がいいかもしれないと気持ちの変化があったので、作る方向で進んでいます。

正直、作った装具は使って欲しかったと思うけれど、10年間自分の好きなように歩いたという事実も大事だと思うのです。

本人の思いを汲むことの難しさ

不本意な状態になってしまった自分の体と折り合いをつけたのが、杖は使うけれど装具は使わないということならば、その折り合いは尊重しても良いのではないかとも思います。

10年、20年長く歩くためには障害に合わせた正しい歩き方が大切だけれど、正しい歩き方がその人の心を傷つけるものだったら?その人にとって必要な歩きは、危ないかもしれないけれど自分の心が守られる歩き方なのかもしれない。

でも、一方で本人の気持ちをそのまま受け入れていいのか?私はそれで仕事をしたと言えるのか?と思う自分もいて…。

ただ、装具なしを選んだからこそ外にでる気持ちになったその人の10年を、装具装着の指示を守らなかった10年とは言いたくないのです。

気持ちを汲むことと、仕事としてやるべきことをやることの落とし所は、ケースバイケース、時と場合によりけりでこの先もやっていくことになりそうです。

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