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現実が妄想を超えるとき 羽生結弦 VS 大地真央の「Carmina Burana」

 昨年に続く羽生結弦の座長公演 “Notte Stellata 2024”初日で、目玉とも言うべき大地真央との共演にカンタータ「Carmina Burana」が使われたと聞いた時にはちょっと驚いた。
よく知られているのは追い詰められるような緊張感で盛り上がる「FORTUNA」の合唱部分だけれど、名曲だけに映画やバレエ、ゲームなど様々なジャンルで使われ過ぎている。大女優とスケート界のGOAT羽生の共演にふさわしいと言えばその通りだが、過去作品のイメージが強く、はまりすぎて独自性を出すのが難しそうに思えたのだ。

 第一に、羽生は何を演ずるのだろうか?  
 「FORTUNA」であればやはり運命の女神?
 記憶に新しい「鶏と蛇と豚」「破滅への使者」を思い返せば、気まぐれで残酷で支配的な運命の女神だって絶対に似合う。なにより彼自身がすでにHomme fataleだ。
 しかし大地真央は?
 彼女の女神だって素晴らしいに違いない。あの重層的な合唱曲を大地が歌ってFantasy on Iceのコラボみたいに羽生が舞うというのも難しそうだ。それに歌だけでは大地真央がもったいなさすぎる。
 いっそ能楽「石橋しゃっきょう 」の連獅子れんじし みたいに女神ふたりで相舞あいまい はどうだろう。
 連獅子なら序列から言って白頭が大地で赤頭が羽生。運命の女神をそれぞれ悪運と幸運を司る双子の神にして、黒と白、または黒と金の色違いの衣装にしたら…
 なんだか妄想が止まらなくなってきた。
 そういえば昨年の“Notte Stellata 2023”で内村公平と王者ふたりで共演した「Conquest of Paradise」はちっょと連獅子っぽかったけれど、二頭の獅子、というよりライオンとペガサスみたいだった。
昨年は体操界のGOAT、今年はミュージカルのトップスター。畑違いの第一人者との共演という状況は同じでも、羽生のことだからきっと斜めはるか上の発想で驚かしてくれるに違いない。
 “Notte Stellata 2024”は3月10日の大楽をライブビューイングで観ることにしていたので、それまで余計な情報には耳をふさいで妄想を楽しませていただくことにした。 

 3月10日に横浜の映画館で拝見した。「Carmina Burana」はまさしく想像以上だった。「FORTUNA」の曲が鳴り、リンクの奥に作られた舞台に威圧的な黒い衣装に身を包んだ女神・大地真央、ほぼ同時に羽生が氷上へ。上は透明感のある白で下は黒の比較的シンプルな姿。女神はすぐに退場し、曲調も軽やかに変わった。背景には花が咲き乱れ、羽生が春の喜びそのままに舞う。出だしの数秒でシチュエーションと役柄が伝わる巧みな演出だ。
 東欧的な香りがするバレエ風のダンスは端正な中に民族性があり、無邪気で愛らしい若者というだけでなく、特定の故郷や背景を持った人としての個性を感じさせる。羽生結弦のスケート=演技はいつもキャラクターがしっかりと設定され、一瞬の動きや表情にその性格が表れて、観る者を惹きつける。
 やがて再びの「FORTUNA」と共に舞台中央に運命の女神が再登場する。気配に振り向き、女神を認めるや恐れおのの いて逃げようとする羽生。
初心うぶな青年が不意討ちを喰らって取り乱す、そのおび え切った様子が真に迫っていた。
 しかし、青年は女神が投げた見えない糸に絡めとられ、引き戻され、操られていく。抗う羽生を背後からマリオネットを操るように支配する女神・大地真央。容赦なく糸を手繰り、揺さぶって羽生を苦しめる。
 舞台上とリンクの高低差、そしておそらく20メートル以上の距離を隔て、せめ ぎ合う二人の表現が凄い。大地の大きくて歯切れのよい動きに、ほんの僅かに遅れて羽生の体がシンクロする。本当に見えない糸で縛られ、操られているかのようだ。いくらあがいても、宿命の糸は絡みつくばかりで振り切ることはできない。
 ついに羽生は逃げることを止め、自らの意思で女神を振り返る。
 姿勢を正し両腕を広げるようにして一度、立ち向かうかのようにもう一度。そこから一気に舞台へと突進し、すべてを反転させ、制圧する。
超大作のグランド・ロマンにも比肩する圧巻のフィナーレだった。

 華やかなバレエから、大空間を挟んで歌舞伎の人形振にんぎょうぶりか操り芸を見るような技巧的、かつダイナミックな表現。鮮やかな衣装替え、そして一瞬で流れを変え、逆転を強烈に演出する羽生の光速の滑り。
 ほんの数分の中で起承転結の明瞭な物語が語られ、楽劇、舞踏、スケートのエッセンスを巧みに混合し、昇華させた斬新この上ないパフォーミングアートが成立していた。
 見事と云うほかに言葉がない。

PS:
 ミュージカルとフィギュアスケートというユニークなシチュエーションを最大限に活かしたパフォーマンスですが、手練れの演者が呼吸をぴったりと合わせて初めて成立する野心的な演出だと思います。初演にもかかわらず離れて稽古を進め、最期の数日で合わせてあそこまで仕上げるとはさすがとしか言いようがありません。

 大変な舞台ですが、もしかしたら大地さんは気持ちよかったのではないかしらと思います。あんな綺麗な青年を徹底的に怯えさせ、一瞬でも這いつくばらせて支配する役ですもの。
 私はいつもは羽生選手に感情移入して見ていますが、あの場面ではちょっと運命の女神に寄って、心の中でピンヒールを履いて逆トゲのついた鞭を振り回してしまいました。
 
 いつか生で正面から拝見したいものです。

 ダニーボーイは素敵でした。
個人的にとても思い入れのある曲なので、今はひとさまにお目に掛けられるような文章にすることが難しい気がしています。こちらもいつか必ずライブで拝見したいです。

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