見出し画像

絢爛たる挑戦 羽生結弦のロンド・カプリチオーソ

 2021年12月24日、全日本フィギュアスケート選手権男子ショートプログラムを現地観戦した。

 第3グループの演技が終わるころ、羽生結弦がキス&クライ横の青い階段から静かに姿を現した。ジャージは着ていない。第4グループの6分間練習が始まり、リンクの中央に並んで挨拶を終えた選手たちは一斉に滑り出す。羽生の衣装はハッカ入りの砂糖菓子のような甘いパウダーブルーが基調。白に近い薄氷のような水色から星の輝き出す一瞬前の夏の夕空を思わせる青まで、繊細に変化する色とプリーツに龍の鱗のような淡い金色のモチーフが重なる。動くたびに無数のビジューが瞬く様はまるでピクシーダストだ。ピリピリと緊張感を漂わせる他の選手たちを尻目に、羽生はゆったりとリンクを周回し、時おり星屑のような光を撒き散らしながら空中に舞い上がる。跳ぶというより「浮かぶ」という方がふさわしいエフォートレスなジャンプ。4回転サルコウも4回転-3回転のコンビネーションも3回転アクセルも微塵も揺らがず着氷する。今期は11月に何度目かの右足首故障があって欠場が重なったうえでの初戦だ。怪我の影響がないとは考えにくい。しかし、目の前の羽生は一人だけパラレルワールドにいるかのように落ち着いた表情のまま別次元の滑りを見せ、6分間練習を終了。迷いのない足取りであっという間にリンクサイドから消えた。

 第4グループの演技が進むとともに会場内の空気は張りつめ、濃密になっていくようだ。その緊張の頂点で4番滑走の羽生が再び登場した。氷に挨拶してリンクに入り、馴らすように滑走する。私の席はロングサイドでキス&クライの向かい側、リンクサイドから5~6列目くらい。コール直前、WINNIE THE POOHがいるフェンス際でこちらに背を向けて待つ羽生が真正面に見えた。ヴィオラのようにくびれたウエストの後ろ姿は春のアイスショーの時より一回り細く、うなじのあたりなど向こうが透けてしまいそうだ。コールに応え、リンク中央へと滑り出した羽生は緩やかに回りながらルーティンをこなし、ジャッジ側に背を向け、静かにスタートポジションに立った。

 曲はピアノ独奏の「序奏とロンド・カプリチオーソ」。物憂げに始まる旋律に乗り、羽生はすっと両腕を広げながら正面へと向き直り、回転して滑り出す。音に呼吸をあわせてなめらかに加速し、ターンする足元。メロディに寄り添ってのびやかにしなう上半身。凪いだ湖のように涼しげに、かつ滾るような熱い気配を潜ませた羽生の滑りは最初の3小節で、初演であることも、怪我をしていることも忘れさせてしまう。ジャッジの正面をイーグルで横切り、優雅に回転してそのままふわりと跳んだのは4回転サルコウ。まるでバレエジャンプのように軽々と降りて再びイーグル。そして、華やかさを増していくピアノの音色ともに反対側のショートサイドへ。曲の緩急と見事に揃った4回転-3回転の連続ジャンプを決めるとほぼ中央でダイナミックなバタフライからキャメルスピン。頭からフリーレッグのエッジまで綺麗に高さがそろうのみならず、フライングの着地、回転のリズム、留めの呼吸まで小気味よいほど曲と同期している。
 万雷の拍手の下、羽生の滑りはピアノとシンクロし、スパークし、青白い火花を散らしながら熱く、鋭く、高まっていく。カウンターから驚異的な高さでトリプルアクセルを跳び、ツイズルをはさんで巧みな腕の動きに彩られた艶麗なシットスピンへ。スピンの留めと曲の切れ目がピタリと揃い、まるで羽生が指揮をしているようだ。

 クライマックスへと狂おしく盛り上がってゆくピアノの眩く、繊細で微妙にクセのある響きはまるで形も色も輝きも異なる様々な宝石を並べたよう。羽生はその主張の強い一音一音を際立たせて跳躍し、回転し、ターンし、羽ばたたきながら跳びわたっていく。散乱する光のような音色を鮮やかに形にするステップシークェンスに満席の会場はトランス状態だ。ステップから最期のスピンまで、鳴りやまない拍手はますますクレッシェンドし、スタンドも建物も共振しているよう。鳴動するアリーナの中心で、羽生は高々と右手を突き上げてフィニッシュした。涼やかなスタートとは打って変わり、獲物を仕留めた狩人の精悍さで演技を終えた羽生は、空中からつかみ取った何かを大切に抱えるようにしてリンクドアに向かう。氷から上がってPOOHを受け取った時、初めてその表情が和らいだように見えた。
 
 私は座席の背もたれに寄りかかり、拍手しすぎてだるくなった腕を撫でながらかつて見た「石橋 しゃっきょう」の舞台を思い出していた。石橋とは切能(鬼、神、天狗、神仙など人でないものが主役の能)のひとつで、霊山を訪れた高僧の前に文殊菩薩 もんじゅぼさつの使いである獅子 ししが顕れ、霧が立ち込め空中から花が降り注ぐ幻想的な景色の中、深い谷にかかる細い石の橋の上を自在に跳び回り、花に戯れて舞う。舞台には赤と白の牡丹を立てた台が2つ(連獅子の場合は桃色を加えて3つ)出され、シテの獅子は頭を左右に激しく振りたて、橋掛かりの欄干に乗り上げ、台に跳び乗り、跳び降り、牡丹にじゃれ付いて豪壮なアクションを展開する。高く跳び、着地の反動を見せずに吸い付くように降りて一瞬静止する獅子の動きが印象的で人気のある曲だ。獅子は厚板唐織あついたからおり半切はんぎれの上に法被はっぴを着ておもて獅子口ししぐち。獅子口はこの曲だけに使われる面で、大きな金色の目をして牙のある口をくわっと開いた怖ろしい形相だ。さらに頭には赤頭 あかがしらというというヤク牛の毛でできた真っ赤で大きな被り物が乗る。能面は前がわずかに見えるだけで視界が極端に狭い。さらに獅子口は大きく、大変に重いという。装束は形をきっちりと作るために厚い綿入れを着た上に要所を太い絹糸で縫い留めながら着付けていく。動きやすいとはとうてい思えないこの出で立ちで高く跳び、正確に舞うためには優れた身体能力が必要であり、加えて神獣であるから気品がなくてはならない。「石橋」は若い能楽師が一人前に成長していくにあたってのイニシエーション・披き物 ひらきもののひとつとしても特別な演目とされている。けれど、私が思い出したのは若い役者ではなく、30年以上前、当時既に壮年で名人と云われていたの方の舞台だ。姿が美しく並外れて体の効く方で、跳び方も着地も見事。肘を張って胸を反らせる獅子の構えがライオンキングのシンバかマーベル映画のヒーローみたいに格好よい。しかし、技の巧みさや姿の美しさ以上のものがそこにはあった。舞台上で名人は人にも見えず、獣のようで野獣ではなく、深い知恵と無心で純粋な野生の魂を合わせ持つ底知れない生きものとなる。文殊の楽土と現世を隔てる深淵を軽々と往き来するその姿に、私は苔むした細い橋を越えた先にある永遠の地を確かに目撃したと思った。技量を超えて魂そのものが顕れた演技は、感動というより衝撃として今なお目の奥に焼き付いている。

 羽生の「序奏とロンド・カプリチオーソ」もまた衝撃的だった。振り付けはリモート、コーチもいない孤独なリンクで作り上げたプログラムは、高難度ジャンプやレベル4のスピンをほとんどクロスなしに複雑なステップでつなぐ究極の構成だ。今回が初披露となったこの曲を羽生は練習の時から本番直前まで一度もノーミスで滑り通せてはいなかったという。いとも簡単そうに、凄味さえ漂う完璧さで演じられた新ショートプログラムは、実は羽生にとってさえ大きな挑戦だった。しかし、不安など毫も感じさせず、物憂げな冷静さから滾る情熱までをまばゆいばかりに演じた羽生結弦の「序奏とロンド・カプリチオーソ」は、滑り切りったその瞬間に伝説となった。


P.S. 北京へ

 全日本選手権の会場入り後、羽生はここまで明言を避けてきた2022年北京開催五輪への意志を表明した。そして大方の予想通りショート、フリーとも1位。速攻で五輪代表権を勝ち取ったばかりでなく、公式練習とフリー本番で完成目前の大技・4回転アクセルを披露した。その発言と行動のタイミングは絶妙で、結果、世界中の注目がますます彼に集まり、評価も期待も高まる一方だ。中国は北京五輪の成功を確信したことだろう。もし彼が世の動きを先読みして仕組んだのだとしたら稀代の策士とも云えようが、この流れの中にはロステレコムカップ公式練習中の転倒による怪我や、なにより新型コロナウイルスの猛威という人知を超える要素があった。これらがなければ羽生はとっくに4回転アクセルを成功させ、競技を卒業していたかもしれない。

 羽生には誰もが認める意志の強さとともに、豊かな感受性と社会や人とのつながりを大切にする姿勢がある。音楽と同化して自然に体が動いてしまうのと同じように、天の時、地の利、人の心に反応して本能的にあるべき場所へと向かう素直な聡明さ、あるいは野生のカンともいうべき天性が備わっているのかもしれない。それこそが獅子の心であり帝王の資質であろう。オリンピック3連覇、人類初の4回転アクセル成功、フィギュアスケートの完成形ともいうべき極上のプログラム。これらが一点で交わる北京は熱い2月となりそうだ。

関連記事:

永遠を駈けるスターたち  「石橋」に見る神格化・アポテオシスの系譜

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?