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カタストロフは双子の神 羽生結弦の「あの夏へ」

 「Yuzru Hanyu  ICE STORY 2023“GIFT”」のなかで初演された「あの夏へ」について、秋冬のツアーが始まる前にもう一度追ってみたい。

 青い靄が立ち込め、深山幽谷に秘そむ湖を思わせる黒いリンクに水滴が滴る。輝きながら拡がり、消えていくいくつもの波紋。
 その一つがピアノの旋律に乗り、くるくると舞い始める。うっすらと青みを含んだ白い衣をまとった羽生結弦だ。
 西域の石窟寺院に刻まれた飛天をにも似た裳裾が花びらのよう。
 半透明の衣装を着けたダンサーたちがリンクを取り囲んで星のように瞬く。
 群青に染まったドームをゆるやかに漂い滑る羽生。その舞の手に操られてダンサーたちは揺れ動き、辺りは輝きを増してゆく。
 時の流れや大気の変化を暗示する光の演出が素晴らしい。
 月が昇り、湖面を渡る風にさざ波が立つ。
 羽生を氷上に打ちのめしたのは迫りくる災いの予兆だろうか。
 黒く、白く、鋭角的に変化する照明は吹き荒れる嵐となり、轟きながら湖面を吹き渡り、吹き返す風に墨色の波が渦巻く。
 怒涛の前に立ちはだかり、押しとどめようと抗う羽生。
 やがて波は鎮まり湖面は再び輝き始める。羽生は守り切れなかった者たちを悼むようにきらめく水面に触れ、天を仰ぐ。
 青白い光に浮かぶのは、生まれる前に夢見たような、いつか帰り着きたい何処かのような、懐かしく慕わしい情景。
 羽生の描くスパイラルは星の運行さながらに巨大で揺るぎない。
 青く沈むリンク上でその姿は影となり、闇に融けてフェードアウトした。

 久石譲の「あの夏へ」は映画「千と千尋の神隠し」のなかで水神が姿を変えた少年ハクを象徴する楽曲だ。「ハク」は埋められ失われてしまった「琥珀川」のヌシであり、白い龍として描かれる。 

 日本では山形、神奈川、滋賀、熊本等各地に白龍の伝説が残る。東方を統べる神獣であり海を象徴する中国神話の青龍に対し、日本的アニミズムである白蛇信仰と融合した白龍は淡水・清水の神であり富と繁栄、清浄な水、天に通じる気高さを象徴する。

 “GIFT”前半において透き通るほど涼やかに舞われた「あの夏へ」と、後半の火傷しそうに熱い「阿修羅ちゃん」は一対ではないだろうか。
 一方は避け切れない災いを乗り越えての癒しと復活、一方は譲れない信念を貫く修羅道の果ての突破を示唆しているように見える。
 ディテールも音楽性も全く異なるが、共通するのはカタストロフを経ての再生。“GIFT”を貫くテーマにも重なる魂の旅路を対照的な色彩で表裏のように描き出している。

 なんとなく「双子のようなプログラム」と羽生が呼んだ2019年の「マスカレード」と「クリスタルメモリー」を思い起こした。深読みしすぎかもしれないが、彼らしい美意識が顕れているようで心惹かれる。
 
 それぞれに強い個性を持つ競技プロ、ショープロを心に響く語りによって綴り合わせ、光り輝く絵巻物にして見せた“GIFT”。
 その“GIFT”を語るべき言葉もまだ見つけられないというのに、さらにブラッシュアップしたSTARS on ICE版「阿修羅ちゃん」、Fantasy on Ice 2023の「if…」「GLAMOROUS SKY」と、すさまじいフィジカルの進化、そしてコレオグラフィの才能まで見せつけた羽生結弦。
 競技フィギュアスケートにかつてない繁栄をもたらした羽生は、同時にその羽搏きで古い常識を葬り去り、限界を打ち砕いてカタストロフを引き起こした破壊神であったかもしれない。
 彼が飛び立ったあとの旧世界は今や見る影もない。

 そして告知された次の単独ツアーのタイトルは"RE_PRAY"
 繰り返し黄泉帰っては戦い続けるRPGの世界からの何かしらが含まれたテーマであるらしい。

  いかなる枠にも収まりきらない予測不能な表現者・羽生結弦は次のステージに何を企んでいるのだろう。

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