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嵐の中の牡丹のように 羽生結弦のマスカレイド

 ドリーム・オン・アイス2021で羽生結弦が演じた「マスカレイド」はフィギュアスケートの範疇を超えた鮮烈なパフォーマンスで観る者を圧倒した。2年前の初演も見事だったけれど、あの時を凌駕する魔力を放って、まるで疾走するブラックホールのように観客の視線も、ハートも、言葉も一瞬にして吸い寄せ、違う次元へと持ち去ってしまった。
 音を呼吸し、リズムと一体化し、曲も、光も、その場のすべてを自ら紡ぎ出しているかのような絶対的な存在感。開放を夢見つつ鎖を断ち切れない者の苦悩、憎悪、執着、焦燥、戸惑い、etc が氷上で鬩ぎ合い、沸騰し、昇華して中空を赤と黒に染めていく。
 羽生の「マスカレイド」は開き切ったばかりの牡丹が嵐にさらされているような、危うく、妖しく、猛々しい姿がたまらなく印象的だ。

 「風吹牡丹」という古来の意匠がある。咲き誇る牡丹が強い風に吹かれ、枝をしならせ、花弁を震わせる姿を写したものだ。艶やかな大輪がしどけなく吹き乱される様は、爛漫と光を浴びて胡蝶が遊ぶ平和な牡丹図とはまた違う目をそらしがたい風情があって、日本画や工芸作品に繰り返し描かれてきた。花はしばしば女性にたとえられるが、牡丹は百獣の王・獅子と対をなすように「百花の王」とも呼ばれてジェンダーレスに扱われる。風吹牡丹は嫋々とした桜の花吹雪とは少し違って、初夏の青嵐に翻弄されながらも容易には散らない秘めたる闘争心が身上だ。
 羽生の煽情的でありながら気品を失わないマスカレイドは、嵐に揉まれ、身をしなわせながらも折れない勁さが人を惹きつける風吹牡丹さながらで魅了された。花弁の色は黒鉄を熔かした炎のような黒紅だろうか。

 ここまでエモーショナルで耽美な表現は、それこそ牡丹の花のように瑕疵の無い美しさと、感覚の先を行く技術力、そして自信が揃わなければ破綻してしまうだろう。羽生の「マスカレイド」は一瞬たりとも目を離すことを許さず、客席も、その場に居合わせない歌い手も、電波の果ての時空を共にしない観客までも引きずり込み、否応なくセッションに参加させてしまうような空恐ろしい支配力を放った。演技は公演ごとにに少しずつ違って、感ずるままに変化させていく様は即興詩人のよう。トリプルアクセルはかつてないほど高くて速く、天を指して羽ばたくようなディレイドアクセルといい、熔けるように形を変えるスピンといい、見たこともない斬新な創造物だ。これだけのエレメントを自在にアレンジしながら、初回から最終公演まで危なげなく滑りこなしてしまった羽生のエネルギーと制御力に驚嘆する。コロナ禍の下での孤独な鍛錬はどれほど彼を強くしたのだろうか。見ている我々は彼の世界に巻き込まれ、魂を抜かれ、エネルギーをい吸い取られてしまったようだ。素晴らしい演技を会場で目撃できた方々が妬ましいけれど、勇敢にも声をたてず、静かに熱く見守って下さったおかげで彼の魂の咆哮がはっきりと録画に残ったことを感謝申し上げたい。あの場に渦巻いたエネルギー、そして今も世界中で動画を見返して熱くなっている方々のエネルギーが彼のスケーターとしての「最後の夢」実現の糧となることを切に願っている。

PS:
 本文中で触れた「風吹牡丹」の画像をインターネットで探しましたが掲載可能な図が見つけられなかったので、よろしければ私のコレクションをご笑覧ください。「マスカレイド」と「クリスタルメモリー」は表裏一対の双子のようなプログラムと聞きました。「クリスタルメモリー」は、能ならば「羽衣」、バレエなら「ラ・シルフィード」のように軽やかで透き通るように美しいと思いました。いつか、「クリスタルメモリー」も再演していただけたらうれしいです。
 たまたま「風吹牡丹」の帯留は二つ持っているのですが、並べると片方が「マスカレイド」、もう一方が「クリスタルメモリー」のように見えてきました。いかがでしょうか。


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