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未知への扉を開くもの            羽生結弦の「阿修羅ちゃん」

  STARS ON ICE 2023横浜 千秋楽で再び羽生の「阿修羅ちゃん」を拝見した。
 暗転の氷上にうっすら赤く輝く姿が滑り出た瞬間から場内は一気に盛り上がる。初演の「GIFT」の時よりもさらに磨かれたキレキレのダンスと高速・複雑なステップで疾走しながら360度わずかの隙もなく視線と魂を奪い去っていく。ちょっと斜に構えた大人になりかけの少年の、脆さと得体のしれないエネルギーが綯い交ぜになったような強烈な個性。
 高度なジャンプこそ跳ばないが、ほとんどクロスなし、繊細にエッジを使い分ける複雑なステップと、氷上とは信じられない根が生えたような瞬停&ダンスを繋いで駆け抜けていく様はスケートの限界に挑戦しているかのよう。上体の動きも華やかでめまぐるしく、音に吸い付くようにキレよく型を決め、見せ場を連ねてただの一人も、ほんの一瞬も目を離させない。
 「阿修羅ちゃん」は一見して「Let Me Entertain You」などと同じくカッコいい系のナンバーにも見えるけれど一段と陰影と色彩に富む演目だ。幼さと達観が入り混じる女性歌手の歌声が奔放で緊張感に満ちた世界を出現させ、羽生の放つ性別不要で人外なオーラを増幅させていく。ただならぬ存在感を放ちながら、ふとした瞬間に儚げな表情がのぞいて、本来は影も落とさず足音も立てず、鏡にも映らない別世界の生きものが人のふりをしているかのように見えてくる。

 「アンダスタン!」のコーレスも堂に入って際限なくヒートアップしていく観客たち。会場内は歓声と手拍子が渦巻いて視界も霞んでくるようだ。きっとカッコよさだけではここまで盛り上がりはしない。
 灼けた鉄板の上でポップコーンみたいに炒られている焦燥感と、たとえ地獄に落ちても己を貫こうとする強烈な意志とが錯綜する楽曲。あえて異形・異端を肯定するそのスピリットに羽生のカリスマと超絶技巧が血肉を与え、観る者を極彩色の修羅道へと落とし込む。開演前、MCのリードで行った発声練習では遠慮がちに声出ししていたレディたちが、今や我を忘れて絶叫している。もはやほとんど超常現象の域だ。
 曲が終わるや、総立ちとなって嬌声と拍手を浴びせる観客たち。会場中の魂を喰らった羽生はとろけるような会心の笑みを浮かべ、氷に両手をついて最敬礼した。やりすぎちゃってごめんなさい、とあやまっているいたずらっ子みたいに。
 まだ踊り足りないかのように軽くステップを踏み、膝で滑走して幕へと吸い込まれていく姿はやっぱり人外でとても人間とは思えない。まるで山田章博の描く小悪魔を見ているようだった。

 人間はなぜか人ならざるものや別世界に心惹かれる生きものだ。誰もが多かれ少なかれ違うモノになりたい、違う所へ行きたい、という衝動をどこかに持っている。
 「Homme fataleを追って」の最後にも書いたが、羽生には背後に異界を背負い、別世界への扉を知る狭間の生きものを思わせるところがある。容姿や才能に負うものも大きいが、おそらく進化したいという欲望が怖ろしく強いせいではなかろうか。今いる場所に満足できたためしがなく、ひとつを手に入れても、その先に待つものがさらに魅惑的に見えてしまうのだ。「疲れた」「もう充分」と思う日だってあるかもしれないが、乗り越えて手に入れた瞬間の快感を知ればこそ、結局立ち上がって果てしない岩山を昇り続ける。
 「限界!」「もういいや」というあきらめ=リミッターは、人が頑張りすぎて壊れてしまわないための自己保存プログラムでもある。同時に「進化すべき」と命ずるプログラムも組み込まれていて、それが次のステージ、知らない世界への憧れをかきたてて人を高みへと追い立てるのだ。
 ごまかしと諦めで日々を送っている私のような凡人でも、「進化への夢」の欠片が奥深いどこかに埋もれていて、羽生の貪欲な姿に共鳴して疼くのかもしれない。

 「阿修羅ちゃん」は爆風みたいな歓声とともにフィギュアスケートを別のステージのパフォーミングアートへと進化させた作品として長く長く残るだろう。この作品や「レゾン」を前世紀の価値観に捕らわれた視点でとやかく言ってみたところで意味はない。
 私だってさなぎから蝶へと羽化した羽生結弦の最初の羽ばたきをくらっただけでもう息も絶え絶え。けれど地上の縛りから解き放たれた彼が旧世界の言葉では説明不可能なモノへと変身していくその瞬間に立ち会うことができて限りなく光栄だ。
 

PS: 我が愛しき小悪魔


 山田章博氏の作品はゲームのキャラクターデザインや「十二国記」の表紙などの方が知られているのかもしれない。最近はあまり描かれていないようだが、私は山田先生の漫画が大好きだ。
 中でも初期の「魔法使いの弟子 悪魔に『小』が付く幾つかの事情」や「紅色魔術探偵団」などで主役を務めるジェンダーレスな感じの魔物キャラ「小悪魔」のファンである。


 羽生選手の「阿修羅ちゃん」を見てこの小悪魔を思い出した。よく似たキャラクターは「人魚變生」「夜雀」「おぼろ探偵帖」等で繰り返し描かれている。「天空人讃揚」には卵から生まれたという双子のように美しい仙女と仙人が出てくるのだが、この二人も羽生選手にどことなく似ている。見とれるばかりの手指や髪のライン。タッチは作品によっても異なるが「影夫人異聞」などの優美でたまらなく煽情的な描線には言葉もない。
 4巻で停まっている「BEAST of EAST ~東方眩暈録~」の続きはいつ描いてくださるのだろう。待ち焦がれているのだけれど。


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