見出し画像

あそぶ

2024年のテーマ、
わたしはこう書きました。

「わたしのために遊ぶ」

この鳳凰っぽい鳥さんは、
お正月にポケモンの映画「キミにきめた!」を半分観たので、
その影響も受けています!笑


お正月に書いた
この見開きページには、
シールをペタペタ貼って、
絵を描いています。

「今年の目標、これ」
と夫に見せたら、
「中学生かよ!」と
ツッコまれました。

向きが変だな

でも,中学生の頃はこんなふうに
シールをいっぱい使えなかった!
大人になったものです。笑

次のページに、

文章でこう書きました。


2024
わたし のためにあそぶ

「わたし」って?
他者からの判断、評価でなく、
「在る」わたし。
社会から求められるものではない。
その「わたし」は、「りょうこ」という個ではない。

「わたし」は、(りょうこ)も
その一部であるユラユラ揺れる網。

あるときはわたしのなかの、子どもかもしれない。あるときは過去生の「わたし」かもしれない。あるときはスピリットかもしれない。あるときは草かもしれない。あるときはバラかもしれない。
あるときは香り良き薬草かもしれない。あるときは物語の登場人物かもしれない。
あるときはすべてをゆらす風かもしれない。

あるときは、
あなたかもしれない。

自分のノートより引用  


わたしのために、
というのは、
純粋なわたし、は
他者でもある、のです。


さて、

では、

あそぶ、って?

私は、今生のテーマは
「あそぶ」だと思っています。

私は、ぼんやりすることは得意ですが、「あそぶ」ことは
ちょっと苦手です。
あんまりパワーがあるほうではなくて。
疲れやすいのです。

特にいわゆる「レジャー」
旅とか、ショッピングとか、映画をたくさん見るとか、は
あんまり好きではないかも。

わたしは、自分の感覚がすごく
人間界に染まってる、って感じます。

なにもかもが
「しなければならないこと」ばかり。
洗い物に洗濯に、掃除に、
仕事。農業もそうです。
やるべきこと。
つづけるべきこと。

それは重荷です。

でも、ほんとうは…。

もともとは…。

ぜんぶ、楽しいこと、
だったんじゃないかな??

と思うのです。

そういう感覚を取り戻すために、
わたしは、
「畑あそびの日」を設定しました。

農業は、しごとなので、
あそびとかけ離れてしまった。

でも本当は、土を触ることは楽しいこと。
阿蘇の自然を感じながら、楽器を吹いたり、おしゃべりしたり。

前回は、ご参加の方が篠笛を
吹いてくださっているのを
聞きながら
鍬で作業。
音が自然とマッチして、
すごーく、豊かだなあ〜!と
感じました。

次回は2月11日(日)の予定です。

なにか、がんばったり、する必要は
何にもない、そんな時間です。

前回の畑あそびの日の、ようすです!

この、「あそぶ」には、後日談がありまして。
それも書きたくて、今日は投稿しました。

次回にも「あそぶ」
つづく、です。


りょうこ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?