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その2 私はだめだと思いながら起きる 

そもそも、なぜハーブの畑を作りたいと思ったか。

それは、
遊び心や、
自然と共にある喜びを
取り戻したいという思いがあった。

トマトなど施設園芸の農業は
なかなか厳しい世界で、
フワーちょうちょキレーイ
と、なかなか言っていられない。



いろんな自分の感情や気まぐれを
グッと抑えてハードで単調な作業を
こなしてゆく。
それを越えて、やっと、生計が立てられる。
夫(園主)のコツコツ、体力、
面倒なことも厭わず実行できる能力はすごくて、
絶対にかなわない。

園主とヤギたち




でも、わたしの個性は
フワーちょうちょキレーイ
が、かなり強い。
花も好き。
自然を観察すること、鳥の声を聞いたり、虫を見つけたり、光を感じたりすることが好き。

ちょうちょではなくて蛾の
美しいオオミズアオに出会って大喜び



作物を作りたい、というよりは
楽園のような「場」を作りたいという
気持ちが強いのだ。
(楽園部、としてずっと以前からコンセプトだけはある)

だから、「これを育ててどう利用するんですか?商品を作るんですか?」
と、たずねられたときに、
「へっ?」という反応をしてしまった。作物を育てる感覚はあまりないのだ。

わたしは、
「〈素人っぽい〉草だらけの奇妙な畑」
を作りたいな、と思った。

そう…。
裏を返すと
…私は農家なので、そして以前は造園の仕事もしていたので、
素人ではない、と
思っていた!笑
工程管理もできると思ったけど、
全然できなかった。
(そもそも方針が定まらなかった)

堆肥にできた きのこ

この冬は、土壌分析の講座を受けたり、自然農関係の本や、
環境再生関連の本も読んだりもしていた。
自然農的なYouTubeも見たり、オンライン講座も受けた。
けぅこう熱心にやっていたのだけど。

言ってみれば欠乏感を埋める
「知識ショッピング」
みたいなことだったのかもしれない。

この欠乏感は、農家として
ジャッジされ続ける不快さからも、
きていたようにも思う。
(それについてはまた改めて書きたい)


しかも、作物が育たないというのは
「わたしにとっては、恥」だと思っていたことに気づいた。

(個人で楽しんで畑をやっているかたには、小さないとおしい作物も、もちろんいいと思うけれど!)

そして、このところの私は
「意識ばかりが高くて、現実を見られていない」
私が内心すごく苦手だと思ってたタイプの人、そのものになっていた、のだ。

じつのところ、造園の時は、
優秀な発注者や業者さんや作業員さんたちが、ある意味では夢を叶えてくれていた。

わたしは自分の手を動かすのが苦手なのだ…。

私はダメだ…
あのときも、あのときも。そうだった、
思いだけあって実行力がない、
能力がない…

この一週間ほど早朝…というか3時くらいに目が覚めて、上に書いたようなことをずーっとぐるぐる考えていた。

それで、苦しさのなかから、
じっとじっと自分を見つめていたら、
ようやく気づいてきた。

苦しみの原因は…

わたしが成功したい」
(ハーブ園は見事に美しく早く完成)
だったし、
私は「自他を厳しく
ジャッジメントをしていた

と、いうところに、ある。と。

つづく

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