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Netflix『PLUTO』を子と観た/鉄腕アトム/ブラック・ジャック

〈2023年10月某日〉
予告を目にしたときから配信開始を待ちわびていた子が、Netflix『PLUTO』に引き込まれている。アニメ第1話はそれほど派手なアクションが多いわけでもないが滋味深いノース2号のエピソードなのに画面に目が釘付けである。音楽家ダンカンを演じる羽佐間道夫氏とノース2号を演じる山寺宏一氏の演技・会話の間に引き込まれている。未就学児だった1年前ならアクションを求めて途中で再生を止めていたかもしれない。

「何者かがこちらに近づいてきます」とノース2号が飛びたった瞬間に子が「いや、いやだーー!!」と泣き叫んだのには吃驚した。そのまま1話が終わるまで泣き続けて終わったあともしばらく呆然としていた。  

おれ「史上最大のロボット編」がどういう話か、ノース2号がどうなるのか、子に伝えてないのよ? なのに世界で最高性能と目される七体のロボットのひとりモンブランが破壊されたという前フリを受けて、それで積み重ねられた場面から、次に起こる悲しい結末を予想し「いやだ!」と叫んだ。驚愕した。

頭を撫でながら「トット(私)も子供の頃にマンガで読んで衝撃だった」とは伝えたが、今後待ち受けるエプシロンのくだりではどれほどのショックを受けるのだろう。

とりいそぎ、以前に購入していた電子書籍で「史上最大のロボット編」(地上最強のロボット編)が収録されている『鉄腕アトム』13巻を確認したが、原作(浦沢直樹版ではなく手塚治虫版)のノース2号編ってめちゃくちゃあっさりしてるのだね。8ページほどしかないのだ。子供時代の私はどこに衝撃を受けたのかもはや思い出せぬほど。

「アニメの元になったマンガのノース2号が飛びたつところを読みたい」と子が言う。自身の感情の揺れをどうにかしたいのだ。電書を買おうと思ったらAmazon Kindleでは『PLUTO』の該当場面が載っている第1巻が期間限定無料だった。スマフォの画面でノース2号編を読ませる。ピアノの練習の時間だよ。

衝撃を受け止める術を知らぬかのような子に、電書で『鉄腕アトム』の該当シーンも読ませる。手塚治虫『鉄腕アトム』と浦沢直樹『PLUTO』の関係を教える。

ノース2号の最期にあまりにもショックを受けた子に「ONE PIECEの録画した回を観ようか」と提案する。ちょうどワノ国編が終わったあとの「宴(うたげ)」の回なのだ(『ONE PIECE』では強敵を倒したあとにパーティ場面が用意されている)。観終えたあとに、子は、「ノース2号のさいごに見た風景も宴だったらよかったのにな」と鼻を啜った。

〈2023年10月某日〉
あれほど第1話のノース2号の最期にショックを受けた子が、今晩は自ら「プルートウ観たい」と、2話3話を連続して再生している。

おっ、『PLUTO』第2話、画面がなんというか、どことなく、いきなり外注回感が……笑(企画プリプロのM2が制作担当は第1話と第8話)

ていうか、1話が凄すぎるのだ……プリプロ以降の実作業の制作バジェットを全8話で割ったら1話は大赤字なんちゃうか……虫プロでアニメ制作のキャリアをスタートした丸山正雄という希代のプロデューサーの情念がフィルムに焼き付けられている。8話はどうなるんやろ……。

原作の浦沢直樹『PLUTO』ってリアルタイムで1巻買ったあと実は途中の3巻あたりで読むのをなんかの理由で止めてしまって、今回、子にアニメ版を観せるにあたってあらためてラストまで読んだのだけれど(電子書籍バンザイ!)、7巻〜8巻あたりは、浦沢直樹さんが作品に体力を持っていかれて精も根も尽き果てたかのように線が荒れてるんだ、あの流麗な浦沢直樹さんの線が!

〈2023年11月某日〉
Netflix『PLUTO』。今日、子は5〜8話を一気に観た。凄い体力だな……。

7話、8話の、もう大平晋也さんにしか描けないだろうカットの使いどころにもグッときたが、8話は全体の画と音から漂う鬼気迫る異常なテンションに痺れた。原作マンガでは微妙にボカして描かれていたアトムの脚からジェット(マンガだとどういうディテールなのかを煙と噴出炎で隠している)をはっきりと靴の裏からの噴射に。原作マンガでは気がつかなかったのだけれど、プルートウがアトムを掴んだ手を飛ばすところ、あれは直前のエプシロン戦でエプシロンが自分の手を切り離して子供を救ったことにプルートウが影響を受けてたのだな。連続視聴で腑に落ちた。

ほぼ原作をなぞって再現されてきたアニメ版が、ラストにアニメオリジナルで尺をとって描写された「花畑」にはグッときた。あれこそ映像の力だ。ペルチェ効果を説明してたのもよかった。

ネット視聴が当たり前になって以降、「日本のアニメへの海外の反応」という話題が目につくようになった。私がその話題で最も知りたかったのは『進撃の巨人』をイスラエルのひとはパレスチナのひとはどう観たのか?だった。『PLUTO』の場合は「ASTRO BOYはよく知らないんだけど、Naoki Urasawaが描いたMONSTERは知ってる」という反応をチラホラ見かけた。

手塚治虫『鉄腕アトム』は牧歌的な文明礼賛・明るい未来を描いた作品ではない。作中の「人間とロボット」は、いつしか現実社会の「差別」のアレゴリーとして機能してゆく。「ベイリーの惨劇」('68)というエピソードを読んでみよう。手塚治虫によるマンガ『鉄腕アトム』中の屈指のエピソードだ(現在では『アトム今昔物語』としてまとめられている)。ロボットとしての市民権を初めて獲得しようと書類を提出したベイリーが、書類提出後、役所前に集まった大衆にバラバラにされてしまうという物語だ。

このエピソードが、1955年ローザ・パークスによるモントゴメリー・バス・ボイコット事件など公民権運動が下地になっただろうことは歴然としている。

戦中に空襲──「空爆」だよな、我々の祖父母や曾祖父母はこのクニでこのまちで空爆下にいたのだ──に遭遇し、終戦を迎え歓喜した手塚少年が、オプティミストからペシミストへと変化してゆく過程が『鉄腕アトム』であり、手塚治虫作品だ。

1951年に始まった『アトム大使』では宇宙人と地球人の共存の可能性を探って奔走したアトムは、やがてベトナム戦争で空爆される小さな村を守るために最期のエネルギーを使い果たして河に沈んだり、絶望的な数でやってくるレイシストたちの追っ手からロボットと人間の恋人同士を守るために「いくぞ!」と飛び立ち霧散する。

(引用画像:手塚治虫『復刻版アトム今昔物語』「ベトナムの天使」/メディアファクトリー刊より)
(引用画像:『鉄腕アトム 別巻 1』第9話/手塚プロダクションより)
(引用画像:『鉄腕アトム 別巻 1』第9話/手塚プロダクションより)

科学・平和・人権・ひとの心……アトムという子はまったくもって何かの象徴にさせられる事は多いのだが、実は旗印となるのが不得手で身を結ばぬ。君は不完全な究極のアイドル、それは彼の人生の不幸だ。そもそも最初からして、交通事故で死んだ人間の子供の代替物として創られたが生みの親である天馬博士を救えなかったのだ。アトムは常に失敗し続ける。腕力は止められても暴力や憎しみは止められぬ。努力は身を結ばず、目の前の誰かを見捨てられぬが真に救うことはできぬ。それが鉄腕アトム。

浦沢直樹による原作マンガ『PLUTO』('03-'09)にて物語の発端にあるのは「ある国が〈大量破壊兵器〉を所有していると嫌疑をかけられ国際社会が軍事介入した戦争」だ。戦争に関わった、巻き込まれたキャラクターたちの人生に悲劇が生じてゆく。劇中には〈合衆国〉〈空爆〉という直接的な単語も出てくる。連載当時のモチーフになったのはきっとイラク戦争だろう。

原作マンガ『PLUTO』物語のクライマックス直前で、お茶の水博士は天馬博士にこう告げる。「最後まで希望を捨てないのが人間だ。アトムのようにね」。

アトムのように。逆説的だ。優れた電子頭脳を持つ「ロボット」アトムのように人間も。いまだロボットへの差別や偏見が存在しロボットは人間より下級とされ権利が蔑ろにされている世界で。浦沢直樹が描くそのコマのお茶の水博士は、誰かに似ている──手塚治虫だ。天馬博士は手塚治虫のペシミストの部分、お茶の水博士は手塚治虫のオプティミストの部分が投影されているように感じるページだ。アニメ版は大変に愉しんだし傑作であると確信するが、唯一その一点のみ、そういう解釈はされてなかったのだなーとは感じた。私があのページとコマに思い入れが強いせいだろう。私はこのコマを目にしたとき思わず「手塚先生!」と口にしてしまったのだ。代表作とされることも多く自作中で最も有名なキャラクターと化した鉄腕アトムに対して手塚治虫自身は愛憎入り混じった想いを抱いていた(一時期は完全に否定したり読者への嫌がらせのような物語を描くこともあった)だけに。その上での「アトムのようにね」という言葉として捉えたのだ。

(画像引用/浦沢直樹×手塚治虫『PLUTO』デジタルVer.(8)/小学館/kindle版より)
アニメ『PLUTO』エピソード8、同場面より

前述した『鉄腕アトム』傑作回「ベイリーの惨劇」は1968年に発表されている。キング牧師として知られるマーティン・ルーサー・キング・ジュニアが射殺された年だ。

先日、AIの助力で手塚治虫『ブラック・ジャック』の新作が制作されたという報を見かけた。件の新作は未読だが、いま2023年に仮にマンガ『ブラック・ジャック』が連載継続していたとして(手塚治虫先生は95歳ですが)、東欧(つまりウクライナ)で天然ガス利権が絡んでいたり、パレスチナ問題に関係ある人物や出来事が物語になるはずなのだ、たぶん。

マンガ『ブラック・ジャック』をいくらAIに読ませても、『ブラック・ジャック』の新作にはならず、それならば国際ニュースや最新医療論文や創作落語や鬼滅の刃を元にしないと、『ブラック・ジャック』の新作にはならないのではないか。

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