大人(保護者)がどこまで踏み込むべきなのか

2024年5月(有料マガジン)|ryokikuzaki
の文章です。いまは全文公開してますが適当に有料範囲をどっかに設定します。6月になってしまいましたが、まだ5月分が半分を少し超えたくらいしか書けていない……。6月に入ってからの出来事や考えたことは、6月有料マガジンに収録します(同時進行するかもです)。


 児童同士の関係性について大人(保護者)がどこまで踏み込むべきなのか、ここから悪い方向にも悪くない方向にも、大人のたったひと言、ほんのワンアクションでどうにでもなるだろうあるひとつのモデルケースの発端から経緯から着地までが、この三週間ばかりのあいだで起こった出来事に組み込まれているが、それをどう記すべきか悩んでいる。シンプルに描こうとすると抜け落ちてしまうモノが多過ぎるし、ディテールを細かく描写すればするほど、私自身のバイアスがかかるのと、同じ〈児童同士の関係性について大人(保護者)がどこまで踏み込むべきなのか〉について考えを巡らせたことのあるひとにしかリーチしない文章になってしまうのである。それに、どうしたって自分の子側に立っての目線になってしまう……のは、これはもう『あれよ星屑』(山田参助)ラストで石を呑み込むかのように描くしかないと自身を納得させているのではあるが。

 たとえば家にタコ焼き器を持っていないひとに「タコ焼き器があるのはなかなかいいものですよ」と紹介するのは書ける。しかし、焼きそばを家でつくって食べないひと向けに、私が子供の頃に家で食べた焼きそばの話から語り始める──そこから始めないと着地しない──文章を興味深く読めるように書くのはなかなか難題だ。

 子が小学生になってしばらく経ってからは、毎回こんな状態だ。だから、もしお子さんの保護者で、お子さんとの暮らしがあったなら、できれば未就学児の頃になるべくメモや走り書きでよいので、発表や公開の場で披露するかは別にして、そのとき何が起こって自分はどう感じたかを書いておくのがいいと思う。そのうち、ボカしたり、フィクションと銘打たなくてはどうにも描写をできなかったり、書けることよりも書けないことのほうの中に芯や背骨があったりするようになる。
 ここに書いたのと同じことを再び書いている。

 東村アキコによる育児エッセイマンガの傑作『ママはテンパリスト』が、大ヒット中にも関わらず、たった全4巻で終了──本棚をひっくり返さないと出てこないが、たしかお子さんが三歳四歳五歳六歳手前あたりで終わったのではなかったか──したのも、同様の描くのが難しい問題が発生したのではないかと想像している。

 余談だが、私自身はnoteにこれまで公開してきた文章が「育児エッセイ」だと意識して書いたことはあまりない。プロフィールに育児人(必殺仕掛人とかそういうノリで)と挿入したことはあるが、児童との生活、子とまちをゆくときの状況、それらから入力される情報量が膨大過ぎて、出力しないと頭が変になりそうだったからテキストデータにし外部記憶装置に移動させて、脳の容量を空けただけだ。下記で告知している『安全ピンと滑り台』もまったく同じだ。自分の頭の中だけで処理し完結させ納得し記憶の棚にしまいこむことが無理だった。

 『こちら葛飾区亀有公園前派出所』88巻「戻ってきたブーメランくん!の巻」(秋本治, 1994,集英社)に印象的な場面がある。
 主人公・両津勘吉がレンズ付きフィルム(〈写ルンです〉)ブームに便乗してひと山当てようと、三十六枚撮りフィルムを六分割して六倍撮れる〈二百十六枚撮りカメラ〉を開発する。そこで同僚の中川と麗子が「写真などは旅行の時しか撮らないから216枚を撮るのはいつになるか……?」「私も1年はかかるわ」と言うのである。両津は現像プリントのために〈二百十六枚撮りカメラ〉が戻ってきたらそのレンズ付きフィルムを再利用して二毛作三毛作をやろうとしたので、いつものようにビジネスモデルが崩壊するのだった。
 いま現在、二〇二四年。ひと月で二百十六枚スマフォで撮るひとなどザラだろう。上記「こち亀」の引用部分は94年、たった三十年前で、発言しているのは世界中を旅行している大金持ちの中川と麗子なのである。隔世の感がある。

 いまはなんぼでも撮れるし、いくらでもメモができて、クラウドに上げとけば(データセンターの事故でもなければ)消えることはない。なるべく撮り、なるべくメモをするんだ。

 以前、ベビーカーを押して電車に乗ったとき。車椅子/ベビーカースペースに、中学生の子とその保護者が寄りかかっていた。すぐ横には私とベビーカーがいて、私は揺れる電車内で吊り革に掴まり、駅に停車するたびにドアから乗り込んでくる他の客の邪魔にならないように少しずつ場所を移動した。そのとき私は《自分が赤ん坊を連れ歩いていたことのことはいつか忘れてしまうもんなのかな》と考えていた。いまのこの時間を時期を瞬間を少しでも忘れないように書こうと決めたきっかけの出来事のひとつだった。

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