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10ヶ月ぶりに特急サンダーバード号に乗車

特急サンダーバード号は、大阪と金沢を結ぶ列車である。

列車は大阪駅始発であるが、今回は新大阪から乗車した。
乗車位置案内は吊り下げ式の電光掲示板
こちらは英語表記

サンダーバードの前身、雷鳥&スーパー雷鳥

サンダーバード号は1997年に正式な列車名となった。
北陸本線の電化に合わせて1964年に前身となる特急雷鳥がデビューした。デビュー当初は大阪ー富山間1日1往復であったが、利用客の増加により停車駅や運転区間の拡大、増便により対応し、一部列車は金沢ー新潟間の特急北越と統合し新潟駅まで乗り入れた。国鉄分割民営化前には、1日19往復が運行されていた。
1987年の国鉄分割民営化とJRの誕生により、全国各地でサービス向上のための施策が展開された。北陸特急についてもテコ入れが図られ、その1つが特急雷鳥の所要時間短縮であった。
1989年春のダイヤ改正で、停車駅を少なくこと、最高速度の引上げによる所要時間の短縮、車両のグレードアップが図られた。列車名はスーパー雷鳥であり、485系7両のグレードアップした車両が用いられ、大阪、神戸ー富山間1日4往復運行された。停車駅を新大阪、京都、福井、金沢、高岡、富山とし、湖西線内と北陸トンネル内で最高速度130km/hで運行した。大阪ー金沢間を2時間40分、大阪ー富山間を3時間23分で結び大幅な時間短縮が実現した。
1991年の七尾線電化により、一部のスーパー雷鳥が和倉温泉への乗り入れを開始し、10両編成化され、金沢までは3両の富山行きの列車と併結運転していた。
その後7往復へ増発されたが、国鉄時代からの485系電車を継続使用するのはげんかいもあり、さらなる高速化を目指すべく、1992年から681系が順次投入され、大阪ー富山間で最高速度130km/h運転が可能となり、大阪ー金沢間は2時間29分にまで短縮された。
スーパー雷鳥は485系と681系で運転され、681系で運行される際は列車名がスーパー雷鳥(サンダーバード)と表示されていたが、1997年3月22日のダイヤ改正で681系で運行する列車はサンダーバードに改められた。また、神戸駅への乗り入れが廃止となった。
しかしながら、使用する車両で列車名が異なることから、利用客にとっては分かりづらく、2001年3月3日のダイヤ改正でスーパー雷鳥7往復はサンダーバードに統合される。また、681系をグレードアップした683系が新造投入され、サンダーバードが本数で優位に立った。この他にも新潟駅への乗り入れが廃止となり、金沢ー新潟間は特急北越に分離され、終着は金沢、富山、魚津に整理された。
以後、サンダーバードと雷鳥の2本立てで運行されていたが、2011年3月12日のダイヤ改正で雷鳥をサンダーバードに統合し、使用車両は681系または683系に集約された。
2015年3月14日の北陸新幹線金沢延伸で金沢ー富山間の特急列車は全て廃止となり、金沢または和倉温泉が終着駅となった。1日の運行本数は25往復50本に拡大し現在に至る。

「旅と鉄道」編集部によるこちらの書籍はコンパクトながら、写真を織り交ぜ、わかりやすくまとめられている。

特急サンダーバード33号に乗車!

新大阪16:46→金沢19:14
前段が長くなってしまったが、10月上旬、およそ10ヶ月ぶりに特急サンダーバードに新大阪駅から乗車した。

乗車したのは新大阪16:46発の特急サンダーバード33号である。通常は9両編成のところ長大の12両編成での運転である。
京都、敦賀、福井、小松に停車する停車駅の少ないサンダーバードである。かつてのスーパー雷鳥を想起させる。
定刻に発車しJR京都線を走る。早朝深夜には高槻に停車するサンダーバードも存在するが、乗車した列車は新快速専用ホームを高速で通過する。新大阪→京都間は特急サンダーバードで22分で到着する。
無料の新快速でもおよそ24分であるが、新快速は高槻に停車している。新快速の驚異的な速さに今更ながらに驚かされる。

バイパス路線・湖西線を爆走

17:09に京都を発車した。
東山トンネルを抜け山科を通過した。新快速、快速、普通列車は山科に停車するため、駅ホームから高架で長等山トンネルへと入る。しかし、同駅を通過する特急や貨物列車は琵琶湖線の外側線から湖西線に入線する。ゆっくりとした速度で長等山トンネルへ入り、トンネル内で本線と合流する。その後速度を上げ、トンネルを出たところで大津京を通過する。この先は湖西線は琵琶湖の西側を北上していく。途中に踏切はなく、すべての区間が高架または盛り土で、途中には数多くのトンネルを超えていく。この日は雨模様で景色を楽しむことはできなかったが130km/h近い速度で山科から近江塩津までを37分で走破した。

湖西線の歴史

1974(昭和49)年7月20日、琵琶湖の西側を縦断する国鉄路線、湖西線が開通した。
この路線は関西から北陸方面への短絡線として計画され、高速運転を念頭に大半が高架とトンネルによる直線的なルートで建設された。市街地である堅田を過ぎて北上すると線路は湖岸に面し、雄大な湖面を見下ろす車窓が楽しめる。
琵琶湖の西岸を走る鉄道は、かつて江若(こうじゃく)鉄道が存在していました。江若鉄道は浜大津駅を起点として1931(昭和6)年に近江今津までが全通した。ガソリン駆動の気動車が51.0kmの道のりを1時間半かけて走っていた。
湖西線の着工をうけ、江若鉄道は1969(昭和44)年11月に全線か廃止となる。鉄道敷地の大部分を再利用する形で建設が進み、5年後に開通に至った。
湖西線の開通翌年から、北陸方面の特急・急行は米原経由から湖西線経由となり、大幅なスピードアップとが実現した。現在も特急「サンダーバード」が最高速度130km/hで駆け抜けていく。その後、大阪方面から新快速が乗り入れし、堅田、近江舞子、永原までの運転区間を拡大し、2006(平成18)年に直流化工事の完成により近江塩津、敦賀への直通運転を果たしている。

湖西線の歴史はhttps://trafficnews.jp/post/120617をもとに記述した。

北陸トンネルを越え、越前・加賀を爆走

近江塩津を通過し、北陸本線と合流した。合流地点付近はスノーシェルターで覆われている。雪国に入ったことを実感できる。そして新深坂トンネルへと入る。全長約5㌔で滋賀県と福井県の県境である。トンネルを抜けるとすぐに新疋田を通過する。新疋田ー敦賀間は上下でルートが少々異なる点も見逃せない。
疋田トンネルを抜け、その先からしばらく25パーミルの急勾配が続く。笙(しょう)の川の谷を鳩原(はつはら)に向けて下りる山間の難路です。線路はやがて10パーミルほどの勾配になりますが、険しいままに敦賀へと至り敦賀駅に到着する。
これは下り線の話で、上り線は1957(昭和32)年の複線化の際に、増設する線路の緩勾配化が検討され、結果的に鳩原付近にループ線を設けて勾配を緩和することにした。距離は若干長くなるが、それがもっともふさわしい緩勾配の解決策だったのである。長いトンネルを掘削することだけが緩勾配ではないということを示している。こうした例は群馬県と新潟県の県境を超える上越線の湯檜曽ー土樽間と同様である。
敦賀駅手前ではすでに巨大な構造物が完成しており、来年3月16日に開業する北陸新幹線の延伸開業が近いことを実感させられる。

特急列車は新幹線下に新設される連絡ホームに到着するため、駅手前で右に大きくカーブして分かれていく。敦賀には17:59に到着した。
敦賀を18:01に発車し、しばらくすると交直流切り替え区間を通過しすぐに北陸トンネルに入る。約13㌔にわたる長大トンネルである。130km/hでトンネルを抜けると南今庄を通過する。この先はカーブが連続するため、やや速度を落としながらの運転となる。今庄、南条、湯尾を通過するが、周囲は山々に囲まれている。
武生と鯖江は両駅とも速度を落としながら通過した。この辺りから福井平野を駆け抜けていく。時折、北陸自動車道と並走する。越前花堂を通過し、足羽川を渡ると高架の福井駅へ18:30に到着した。

特急街道・北陸本線を走るもの残りわずか 北陸新幹線・金沢ー敦賀開業を間近に控えて

福井駅を発車すると、高架を下り列車は北へと進む。
芦原温泉は特急停車駅ではあるが当該列車は通過する。芦原温泉から大聖寺駅までは緩やかな勾配をカーブしながら駆け上がっていく。この間で石川県へ入る。大聖寺通過後再びスピードを上げ加賀温泉を比較的高速で通過する。動橋、粟津を通過し、高架へ上がると小松駅に18:59に到着した。
小松から金沢まで17分で走行する。加賀笠間駅の手前で開業間近の北陸新幹線と並走する。ここからしばらくこの光景が続く。松任、野々市、西金沢を通過し、19:16に金沢駅に到着した。

番外編:金沢駅にて

最後に番外編。

北陸新幹線の金沢延伸により特急ダイナスター号が運行されている。金沢ー福井間を1日2往復する。元は特急はくたか号が担っていた役割を引き継ぎ、サンダーバードやしらさぎの最終列車後や始発前の時間帯に北陸新幹線との乗り継ぎ客に対応している。
金沢から福井へは夜間帯に、福井から金沢へは早朝時間帯に1日2往復計4本が運行され、小松、加賀温泉、芦原温泉に停車する。使用するのは683系または681系で6両編成が基本となる。

金沢駅特急乗車位置案内
ダイナスター福井行きの側面表示
1号車グリーン車乗車口
発車案内
撮影した日は681系が使用された
出発が近づきハイビームに切替
発車案内その2

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