自分の命を「株式」に例えると、人生の解像度が上がる。

数日前に「子は「家族」だが、親は「家族」ではない。」という記事を更新しました。

上記の記事で書いたのは、書籍『ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために。』に書かれていた内容についてです。

が、さらに心に残っている文章があったので、今日はその内容について紹介していきます。

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その印象に残っている文章を引用して載せておきます。

 人間の命は、株式のようなものだとぼくは思っている。
 命は、自分ひとりの持ちものではない。何人もの株主が、ぼくという人間に投資してくれている。妻も、息子も、親きょうだいも、親友たちも、仕事仲間の人たちだって、立派な株主だ。無責任なことはできないし、自分に投資してくれた以上、なにかしらの配当を出していきたいと思っている。
 それでも、株式の過半数を持つのはぼくだ。
 ぼくの人生(命)についての株式は、51パーセント以上、ぼくが持っている。ぼく以外の誰ひとりとして、勝手に決議することはできない。仕事、就職先、どこに住むか、誰と付き合って誰と結婚するか、決めるのはすべて筆頭株主であるぼくだ。自立とは、「自分の筆頭株主になること」なのだ。

どうですか?
僕はこの文章を読んだときの納得感がものすごかったです。

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「自分の人生は自分のものだ」

僕自身の基本スタンスは上記の通りではあるものの、この考え方があまりに自己中心的すぎる部分にちょっとした違和感も抱いていました。

とは言え、どこからどう考えてもやっぱり「自分の人生は自分のもの」であることは否定しようがなく、自己中心的になってしまうことは仕方ないことなのかも、というのがこれまでの僕の考えでした。

が、『命は株式のようなもの』『命は自分ひとりのものではない』『自分が自分の筆頭株主になる』というキーワードで考えると、グッと人生の解像度が上がるなと。

まだうまく言葉で表現しきれないですが、「自分の命を株式に例える」という考え方は『命は自分だけのものではないが決定権は自分の手にある』という絶妙なラインを適切に示している最高の捉え方なのかもと感じています。

もっと自分なりに解釈を深めて自分の言葉に昇華していきたいな。本当にいい表現だ。


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というわけで、今日の記事は以上です。
年末に向けて自分の感情が揺れ動いています。起伏のなきように淡々と過ごす日々に戻したいと思う今日この頃です。

では、またあした〜!

▶︎ 合わせて読んでほしい記事 ◀︎
≫ 好きな人に好きな人がいることを幸せだと思えるようになると、人生はずいぶんと楽になる。
≫ 結局、頭を掻き毟って、悩みながら生きていくしかない。
≫ 人生は、長い目で、今この時を生きることだよ。


今日は3,000字ほどの記事を更新してます。
この記事でも紹介した『ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために。』の書評記事です。


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今日は気分が乗りません。

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