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答えの「わからない」ことが良いときもある。

明日の書評本として、鈴木敏夫さんの『禅とジブリ』を読んでいます。

以前に一度読んだ書籍なのですが、先日京都を訪れた際にあらためて【禅】についての理解を深めたいと思い、このたび読みなおし始めました。

この書籍では、スタジオジブリのプロデューサー・鈴木敏夫さんが、3名の禅宗僧侶と対談した内容がまとめられているのですが、この中で龍雲寺住職の「横川晋輔さん」が下記のようなことを語っていました。引用します。

横川 モロが主人公の少年アシタカに「お前にサンを救えるか」と訊く場面がありますよね。ヒロインを救えるか、と。アシタカは「わからぬ」と答えるんです。このセリフに禅問答のような深いものを感じたんです。

鈴木 へえー。なるほど。

横川 主人公なら「救う」と言ってほしいじゃないですか。でも「わからぬ」と。その後に続けて、アシタカは「だが、共に生きることはできる」と言う。これは、達磨さんの言った「不識」じゃないか、と。(省略)
 私たちは、明日の天気もわからないような存在です。けれども幸せを祈って生きていくことはできる、というのが仏教の根底にあるしそうなんです。「不識」、つまりわからないことこそが人生なんです。むしろわかってしまったらおもしろくない。

鈴木 『もののけ姫』で「わからぬ」というセリフに注目された方は初めてですね……。とても興味深いご指摘です。

横川 学問と宗教ってまったく異質なもので、学問には論拠があって宗教にはない。亡くなった人に会えるかと訊かれれば、学問的には「会えない」という答えになってしまうのかもしれません。でも宗教的に答えると「会えると信じて生きていくことはできる」。明快な答えは与えられませんが、逆に答えがあることで苦しくなってしまう面もある。「わからない」というところが、宗教のやさしいところだと思います。

前回読んだ際には「???」と感じて読み飛ばしてしまった部分でしたが、今回はわかりみが深く、思わず大きくうなずいてしまいました。

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去年の10月に『世の中には「すぐわかるもの」と「すぐわからないもの」の二種類がある。』という記事を書きましたが、この内容が腑に落ちたからこそ、問いに対する答えが「わからない」ことの意味も感じられるようになったのかもしれません。

たとえば、「将来はどんな風に働くの?」という問いに対して、昔の僕なら無理やりそれっぽい答えを取り繕うように伝えていたと思います。(今は「わかること」と「わからないこと」を認識して答えられるようになった)

他にも、「なぜあの人が好きなの?」という問いに対しても、明確に好きなポイントを挙げることもできるけど、「わからない(けど好き)」と言うことも、ときに正しく優しい答えだな、と。

❇︎

もっとカッコよく答えるならば、「どんな働き方をするかわからないけど、自分の納得感ある働き方を選び続けることはできる」「なぜ好きかはわからないけど、幸せを願って愛し続けることはできる」という感じでしょうか。

書きながら気づきましたが、この考え方は『好きな人に好きな人がいることを幸せだと思えるようになると、人生はずいぶんと楽になる。』で書いた内容とも近いような気もします。

『すぐにわかろうとしないこと』を大切にしながら、他人が『いまわからないこと』を許容する。

そんな生き方をこれから先も続けていきたいなと思います。


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というわけで、今日の記事は以上です。
良いリフレッシュ休暇日を過ごせれたので、明日からまた淡々と頑張ります。

では、またあした〜!

▶︎ 合わせて読んでほしい記事 ◀︎
≫ 100%の幸せなんて存在しない。
≫ 何歳になっても「わかること」より「わかろうとすること」の方が大事。
≫ 両想いの中にも重ならない部分はあり、失恋の中にも重なる部分はある。


今日は4,000字ほどの記事を更新してます。
メンタリストDaiGoさんの文章術をまとめた「人を操る禁断の文章術」を書評しました。


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今日はリフレッシュ休暇の日にしてみました。

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