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あの頃の僕は、本気で「人生は23歳で終わる」と信じてた。

今日は昔話をします。

僕の人生のターニングポイント

人生には何度かターニングポイントと呼ばれる瞬間が訪れると言われています。僕にとっては「大学4年の春」がそのひとつだったと確信を持って言い切れます。21歳6ヶ月目の頃でした。

たび重なるハプニングを受けて、高校生の頃にネット上で受けた生年月日占いの結果を思い出しました。

「あなたの人生は 23歳まで です」

高校生当時の僕は、その数字にリアリティを持てるほどの人生経験がなく、ただの記号としてだけ理解をしていたように思います。

ですが、大学も卒業が見えてきた時期に『人生が23歳で終わる』と自覚すると、その残りの月日の短さにショックを受けてしまいました

実質的な余命宣告。それからと言うもの、「あと2年余りとなった人生をどのように生きていきたいか」ということだけに、自分の選択の基準を据えるようになっていきました。


本気で23歳までしか生きれないと信じてた

理系学部に所属していた僕は、合格していた大学院に形式上の進学をしたものの、すぐに2年間の休学を申請しました。

それからは『熱海のまちづくり会社でのインターン』や『ヒッチハイクでの全国放浪旅』『iPhoneアプリの制作』『好きな人への告白』などなど、ただただ人生でやりたいことをやり続ける日々を過ごしていきました。

その当時の僕は、気の狂った浮浪者だったと思います

(勝手に)余命宣告を受けたと信じ込み、将来のことなど一切考えずに刹那的に生きている。一般常識を持ち合わせた大人からすれば常軌を逸した危うい存在だったはずです。

でも、当時の僕は(誰になんと言われようと)本気で23歳までしか生きれないと信じてました。そのことは誰よりも僕自身が身に沁みて知っています。

だから、あの頃の僕が28歳になった今の僕の姿を見たら、ショック死してしまうかもしれません。そのくらい、本気で本当に真面目に信じてた。


いつまでも「今」にフォーカスして刹那的に生きたい

先日、「歳を重ねることを楽しめるようになってからが、本当の勝負。」という記事の中で、30代を迎えるのが楽しみだと書きました。

歳を重ね、経験を積み、以前よりは遠くの未来を予想できるようになってきたからこそ、視座を上げて長いスパンで人生を考えられるようになった。それは自分の中でもポジティブな変化として実感をしています。

だけど、だとしても、守りには入りたくない。その気持ちだけは今でも強く持っています。

昔の僕を知っている人から見れば、随分大人な考え方をして生きているように感じるかもしれませんが、やっぱり今でも『刹那的に』に生き続けたい感情は強いです。

そもそも、仏教用語の “刹那” には「今この一瞬を生きる」という意味があると言います。昔の僕はその意味を「未来を気にせず今を楽しく生きればいい」と解釈していたんだろうなと。

でも、今は違います。その意味を「過去を重んじて、未来を大切に、今の努力を惜しまず生きる」と再解釈して捉えてる。

その意味で、僕はこれからも今にフォーカスしながら『刹那的に』生きていきたい。そう強く強く思います。


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というわけで、今日の記事は以上です。
明日も日常の中に刹那を感じたいなと思います。

では、またあした〜!

▶︎ 合わせて読んでほしい記事 ◀︎
>> 歳を重ねることを楽しめるようになってからが、本当の勝負。
>> 「一生、愛し続ける」と決めるところから、スタートしてみよう。
>> 傲慢だった、あの頃の僕へ。


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