ひとりでも「愛すこと」はできるけど、ひとりでは「愛し合うこと」はできない。
昨日と今日、鳥取の知人と話した内容が自分の中で腑に落ちたので、今日はその話を書き残しておこうと思います。
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約1年間の note の毎日更新を続けてきましたが、その中でいくつか持っていた裏テーマのひとつが『愛の深掘り』でした。(気づいていた人も多いかもしれませんが)
その結果として、以前更新した「noteの毎日更新を始めて「365日目」になりました。」でも書いたように「自分のことを好きになってきた」という変化がありました。
さらに、この1年間の気づきとして、「自分を愛す」ができるようになったことで「他人を愛す」ということの深みも増してきた感覚を持っています。
自分以外のナニカ(人や物や街など)を本当に愛するためには、まず自分のことを愛せている必要がある。
この気づきは、自分の中における2019年最大の学びと言っても過言ではないかもしれません。
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そして、その上で『愛することは自分次第でなんとでもなる』ということも実感として抱くようになりました。
というのも、「愛する」というのは自分の行動でしかないので、(愛されようと思わない限りは)そのコントロールは自分の意思で決められることなんですよね。
だからこそ、本当の意味で 相手を愛する とは、相手から愛されることを願うことではないし、本当の意味で 相手の幸せを想う なら、相手に好きな人がいることも幸せだと思えるなと。
そんな風に思えてから、見える世界がパッと広がったような気がします。
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で、最近そこからもう一歩踏み込んで、「愛し合う」ということに興味が移ってきました。
先ほども書いたように、「愛する」は結局のところ自分ひとりでも追求していけるテーマです。が、「愛し合う」はひとりじゃ追求できないテーマ。
そう気づいた瞬間から、ひとりで突き詰めることの出来ない「愛し合う」ということに対する興味がフツフツと湧いてきていて、2020年はその深掘りが出来ればいいなと、そんなことを考えていたりします。
また新たな気づきがあれば note に書き残そうと思うので、色々と意見やコメントをいただけると嬉しいです。
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というわけで、今日の記事は以上です。
愛を語るのはちょっと照れ臭い。←
では、またあした〜!
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今日は2,200字ほどの記事を更新してます。
ユダヤ商法などを読んだので、今回は【華僑】に関する書籍を読んでみました。「華僑のボスに叩き込まれた 世界最強の稼ぎ方」の書評記事です。
おまけ:11月17日の日記
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