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まだ私は「つくりかけの国」にいると思いたい

"カナダ" という国の名前を聞いて、どんなイメージを抱くだろうか。

メープルシロップ、アメリカの隣の国、自然がいっぱい、留学生がよく行く国……など、バラバラとした情報は思いつくものの、「こういう国だよ」というイメージが湧かない…という人も多いのではないだろうか。

日本が「シャイだが職人気質の人が集まっているヲタクの国」、カナダの隣国であるアメリカが「自由で多様性の国」と、 "この国ってこう"  と言いやすいこともあり、より一層「うーん、どんな国だろ」と思う人もいるのではないかと推測している。

実際、博識な方が「カナダのこと、あんまり知らないかも。特定のイメージ無いんですよね」と言っていて、私も「わかります!」と同意した。

そこで私は、バンクーバーにいる間、様々な現地の人に、「カナダってどんな国?」と質問していた。

すると皆さん少し困りつつ「うーん、そういうの無いかも。移民の国だし」とか「みんな全然違う人たちだから答えるの難しいね!」とか「新しい国だからな〜」と答えてくれる(私が聞いている人たちが移民側が多いという偏りはあるかもしれません)。

その中で、好きだった回答がある。

それは、「つくりかけの国」という言葉だ。

どこからをその国の歴史と呼ぶかは難しいが、カナダは2022年で建国155周年を迎えた比較的若い国だ。そうすると、例えば、80歳の人なら、その国の歴史の約半分を知っているわけである。25年前に移住してきた人だとしても、国の歴史の約1/6は知っていることになる。日本は歴史が長い(これもどこから日本と呼ぶのか非常に難しいけど難しすぎるから割愛!w)国だから、こういった数字を想像して、びっくりした。

そして、カナダは常に移民入って来続けている国でもある。人口の21%が移民であり、つまりは5人に1人が移民なのだ。さらにカナダの文化は "モザイク文化" と言われる。アメリカが人種のるつぼ(melting pot )と言われるのに対して、カナダはそれぞれの文化が残っていて、それがパッチワークのようにつながっている、という言い方をされるのだ。確かにバンクーバーの街は、あちらこちらにリトルサイゴンやチャイナタウン、リトルイタリーなど、一歩足を踏み入れれば異国のように感じる街が沢山存在している。

そういったことがどう人々に影響するかというと、カップルでも全然バックグラウンドの違う二人が付き合っていたりするし、両親が全く違う国から来ているという子どもたちもたくさんいるし、友達も多様なバックグラウンドを持つ人がいる、という風になる。みんな世界の色んな国に詳しい。

だからおそらく誰もが、「カナダとはこういう国」とは言いにくかったのだろうと思う。本当にみんな全く違う個性を持っているから。

そうやって違う国から来た人たちの子どもがカナダで暮らして、その人達がまた子供を産んで…何世代もそれを繰り返して、ようやく「その国の文化」というのができあがっていくのではないか、という話も、「作りかけの国」という言葉を教えてくれた人と話した。

まだ国ができてそんなに時間も経っていないし、その短い歴史の中でも常に新しい人が入ってきて、その国の住民として文化を作っている。「だからまだ今この国は文化を作っているところなんだよ」とその人は教えてくれた。

作りかけの国……文化が今作成途中……!

文化がはっきりしている国から来た私にとっては、言葉選びもその感覚も斬新で、「日本とは真逆だなあ!」なんて、面白くて感動しながら、その日はにこにこしながらベッドに入った。

「待って。でも日本も実は『作りかけ』なのは同じなんじゃ……」

次の日はそんな思いが突然降ってきて、ぱっちり目が覚めた。

なぜ私は日本が「できあがった文化」だと思っていたのだろうか。歴史が長いから?キャラクターがはっきりしているから?他の国に比べて外国人が少なく見えるから?

どんな理由があれど、日本は今「変わらなくては」という雰囲気が漂っている。「失われた○○年」の中の「○○年」は伸び続けて、なんとか失われ続けている現状から脱しなければならないと思っている。

それに、国籍という意味での "異国の人" は少なくても、全く時代を生きているという意味で、全然違う視点を持つ人たちがそこに育ち始めているという意味では全く画一的な環境と言い切れるわけでもない。

日本も本当は「作りかけ」なのは変わらないのではなかろうか。私達が今国の文化を作っているのは変わりないのではなかろうか。

自分がどこか「自分の国はもうできあがっているもの」だと思っていることに、自分でも驚いてしまった。

そしてその気付きがあって改めて「自分の国はこれからできあがっていくんだ」「まだまだ変わっていくんだ」「文化は決まっていない」と思いながら暮らす素晴らしさを感じた。

そう感じていることはきっと、実際に違和感を感じることがあった時「まあでもこの国ってこうだよね」と決めつけず、「こうしていかないと!」と感じることにつながると思うのだ。

「私達の文化はこれからの私達が決める」
「まだまだできあがっていない世界を生きている」

つくりかけ、というと、どこかマイナスなイメージを纏う言葉に聞こえるかもしれないが、それは「これからつくる部分を残している」という意味でもある。

変化をこれから起こそうとする国に必要なのは、そんな意識なのかもしれない。変化とともに生きていくために、そんな心構えでいたい。

絶え間なく変化し、進んでいく国に生きる人の言葉を受け取って、そんなことを思った。

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