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嫌われたら "情報の粒" のわたしはこう考える

先週、Instagramでお悩み相談を受け付けていましたので、今日はお悩みに答えてみたいと思います。今後も、もし力になれそうなお悩みがあればnoteで取り上げていこうと思うので、お悩みある方はこちらから。

お悩みの答えは無料で書いています。より具体的かつ実践的な内容だけマガジン限定にしました。

わ、わかるよ〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!

私も、飲み会から帰宅してベッドに入ったら、1人で反省会をして、失敗箇所を頭の中でリプレイして、何度も「こうすればよかったかな」という創造をふくらませるタイプです。

ただ、昔よりは自分をものすごく責めることは減った気がする。

それは「自分は情報の粒だ」ということを考えるようになってから。

「自分は情報の粒だ」というのがどういうことかというと、自分が他人を見る時——特にSNSだと顕著ですが、相手のことをどう捉えているかというと、情報の集合体と捉えていると思うのです。今どきの人なら「ハッシュタグの集合体」と思っても良い気がする。

「20代女性」「会社員」「メーカー勤務」「肩まで伸びた髪」「タレ目」「趣味はカフェ巡り」「いつもワンピースを着てる」「セブチが好き」

みたいな感じで、情報が大量に組み合わさってその人になっている。話したり、その人のSNS投稿を見たり、その人を見かけたり声を聞いたりするたびに、私たちは相手の情報を大量にインプットして "その人" をアップデートしていく。誰かと話すときには、大量の情報を交換し合う。

だから、嫌われるというのも、その情報交換の中で起こる相互作用の1つだと思えるようになりました。

自分の情報と相手の情報の相性が悪くて、居心地悪くさせているのかもしれない。自分の情報が相手の情報を否定するような関係性になっているのかもしれない。そういうふうに、自分から一旦切り離して、「どういう要素が相手と相性が悪いんだろう?」と今は考えることが増えました。

自己嫌悪って、自分の存在が有害に思えてきちゃって、滑稽で、ツライと思うんですけど、「相手に見えている自分=自分の存在 じゃない」と思うと、少し楽になるのではないでしょうか。

あくまで、相手に見えている自分は「自分全体」ではなく、自分の中の一部でしか無い。ハッシュタグの一部なんだ。

無闇にざっくり自分を捉えて「自分が冷たい目で見られている!」と思っちゃうと、ざっくり傷ついちゃう。要素分解は人生の救世主なので、自分のことを細かくハッシュタグに分解しちゃいましょう。

本当の自分は美味しそうなドーナツだけど、
相手にはチョコレートの部分だけ見えていることってめっちゃあると思うねんな

もちろん、情報って「見せ方」でいかようにも変わったりするけれど、事実は事実なので「自分のこういうところは良くないな、変わらなきゃな」と思うことももちろんあります。

だけど、「自分は嫌われ者なんだ〜!自分は社会に馴染めないんだ!」と全体で捉えちゃうのではなくて「自分のこういう部分は良いけど、こういう部分でいつもチームワークを乱しちゃうな」「きちんとコミュニケーションしないと、自分のこういう部分は攻撃的に伝わってしまうな」と部分で捉えられるようになると、自分も楽だし、自分のいいところも見失わなくていいし、"修正可能な事実" として前向きに状況を変えようと思えたりします。

他人に嫌われるのは確かに怖いし、嫌だけど、そんなことで、あなたの存在が100%否定されることなんて、ないよ。相手に見えている自分なんて一部なのに、相手に自分のことを決めさせちゃ、だめだよ。相手に見せている情報はいつでも、編集可能だよ。

なので、自分が持っている情報の粒の中にある、お気に入りの粒(自分の好きな部分)を大事にして、(相手とのコミュニケーションを大事にしたいなら、)相手と自分が居心地の良いように、見せる情報の粒を調整する、と考えるのがいいんじゃないかなと思いました。

以下マガジンでは、もうちょっとメリットを追加。枝葉の話ですが、実践的かなと思うので、もう少し私の話を聞いてくださる方は是非マガジン購読してください〜!

人間を情報の粒だと考える、編集可能な情報だと考えると、人間関係の問題にぶちあたっても気持ちが楽になる事が多いんですが、特に私が経験したことがあるのが、2つのケースです。

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