決められないくらいなら、決め続ける
私のような人間でも時々悩み相談を受けるけれど、その度「私ってチャランポランやなあ」と思う。最近は特にフリーランスになり、会社の常識からも開放されて、チャランポランが加速している。どれくらいチャランポランかというと、年末は毎朝(?)15時に目覚めていた。ちなみにめちゃくちゃ快適。
なぜ自分がそんなにチャランポランに思えるか言うと、悩み相談を聞いている時の私が、たいがい一言目に相手に言っているのって、ほぼ100%「真面目やなあ」だからである。
みんな真面目に「こう思っているんだけど、決断するか迷うわあ」とか「もうちょっと調べてから考えないとだめなんやけど」とか「自分で決めたことやから途中で投げ出すのも良くないと思って」とか言うことが多い。私が「とりあえずやってみたら」「もうやめてみたら」と言っても「いやあ……」となかなか決断するのに勇気がいるといった様子。みんな、自分の決めたことに誠実であろうとするし、だからこそ、自分が何に誠実であるべきか、吟味しようとする。
だけど、せっかく自分を誠実に律するならば、どうせならその価値がほしいものでもないだろうか。悩んでいる人たちの誠実な姿勢に私は感動するけれど、もしそれで自分の毎日の手触り感が良くないなら、誠実でいる意味って実はないかもしれない。私は自分の誠実をアップデートしてから、チャランポランながらも毎日楽しく暮らせるようになった。
きっかけは会社員時代、先輩に手相を見てもらったこと。当時エッセイを書く傍ら会社員としてWebディレクターをしていた私は「私って何をしていくべきなんでしょうか」と聞いた。先輩は、私の掌をまじまじと見ながら「あなたは何事も『やってみないと納得できない』という人でしょう」とにっこり笑ってくれた。「だから、何でも、やりながら見つけてね」
やってみないとわからない、をなめてはいけない
「やってみないとわからない」ということを自分の中で肯定できるようになってみてわかったのは、「やってみないとわからないことってホンマに結構あるわ」ということである。
物事を頑張るのって山登りに似ている。登ってみないとわからない景色がある。「意外と自分ってすぐ息が上がるんだなあ」という自分の問題も、山を登り始めるまではわからない。
だから、最近は「決め続ける」ことを大事にしている。足を一歩踏み出す前に見えている情報なんて限られている。だから、新たな情報が見えてくる度、「決め直す」「決め続ける」。「決断をアップデート」する、と言ってもいいかもしれない。
それは、「一度決断しても、やってみてから全く反対に舵を切り直しても良い」ということでもある。やってみる前に決めたことに誠実であるあまり、今の自分の気持ちに不誠実であることを低く見積もってはいけない。昨日の自分より、今の自分の決断のほうが情報量が多いはずだから、「なんかちゃうな」と思ったらいつでも決断なんて変えてしまっていいと私は思うのだ。
私がフリーランスになるときも「まあ一旦、なってみよか。向いてなかったら会社員に戻ろう」という気持ちで決めた。もちろんその時に、「最悪、コンビニバイトになるかもしれんけど」というワーストケースも考えたけれど。その時、支えになったのは友人から言われた「でも、『これでいいのかな』と思いながら何年もそこにとどまるのもリスクでしょ」という言葉だ。
常に決断をアップデートしよう
「新年の目標」を今年も沢山の人が決めただろう。その思いを新年早々、揶揄するのも性格がよろしくないなとは思うのだけど、一方で今年は「去年もやりきれなかったから今年こそ」と固くなるよりも「とりあえず楽しく過ごすためにこれをやってみよ、途中で変わるかもしれんけど〜」くらいに思うのも良いんじゃないかと思って、新年にあえてこういうことを書いてみている。
決められないくらいなら、決め続けよう。「一度決めたらやりきる」気持ちは素晴らしいけれど、ならばその「やりきる」ことを小さく短く設定しよう。世の中は変化しやすいし、だから気持ちも変わりやすい。
だからこそ、何かを決めた過去の自分よりも "今ここ" を生きる自分をもっと信じて、「決め続ける」ことは、未来を楽しく過ごそうとする自分に誠実であることにつながるのではないだろうか、と思うのである。
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