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アドラーフェストでの発表から/「何を持って生まれてきたかではなく、それをどう使うかが重要だ」

03月13日、オンラインによる第6回アドラーフェストで発表をさせていただきました。今日は、すべてのプログラム終了後の雑談で出た話題についてnoteを書きます。

アドラーフェストはアドラー心理学を研究、実践する仲間が集まるお祭りです。私は、アドラー心理学を応用した障がいのある人の支援についての事例を発表しました。また、その後の雑談で「自閉症の人は一人が好き?」という話があり、私はそれについて「一人が好きなのではなくその場が苦手なだけ」とコメントしました。そのことについて事例をあげます。

視線に敏感な人

私は、障がいのある人が利用する社会福祉法人を経営しています。法人の中には日中活動を提供する事業所と生活を支援するグループホームがあります。その中には自閉症と診断されている人もいます。その中には、感覚のするどい人がいます。ある人は、視線に敏感です。またある人は音に敏感です。

視線に敏感な人の中には、サングラスを使って自分で視線をさえぎっている人がいます。しかし、自分で調整することができず、苦しんでいる人もいます。朝、出勤してくると「今日は、女の人に見られました、辛いです」と言います。あまりにも辛いときは送迎車を使うことをすすめます。しかし、電車やバスで帰りたいという気持ちも強いので無理強いすることができません。

音に敏感な人

音に敏感な人の中には、ヘッドフォンの形をしたイヤーマフで音を防御している人がいます。しかし、音だけではなく人の動きやざわざわ感も気になると防御できません。

自分で頭を抱えるようにうずくまったり、大きな声を出したり、飛び跳ねたりします。まるでそれはバリアーのようでもあります。また、中には支援者の腕の中に隠れる人がいます。支援者を盾にすることもあります。

自閉症の人たちを見ていると、自分の行動パターンがはっきりしているというように感じます。そのパターンが集団の流れと合致しなかったり、突然、変えられると不安になります。

一人が好きなのではなくその場が辛い

自閉症の人は、一人が好きなのではなくその方が安心なだけです。本当は、みんなと一緒にいたいと思っています。しかし、他の人の突発的な行動になじむことができず辛くなります。一人の方が他人の動きに合わせなくてすむから楽ということです。

また、支援者がその人のためだと思ってしたことがマイナスに作用することがあります。茶碗を新しくしたらご飯を食べられなくなった、ねまきを新しくしたらゴワゴワして嫌だと拒まれた、一番風呂をすすめたら怒った、どれも支援者が本人のことを思ってしたことでした。

支援者が良いと思ってもその人にとっては心地よくない場合もあります。また、支援者はたいしたことではないと思っているので、「そんなことで怒らなくてもいいじゃん」と言います。しかし、本人にとっては一大事です。

個人の主体性

アドラー心理学には5つの基本前提があります。その一つが個人の主体性です。原著では、個人の主体性に「Creativity」「創造性」という言葉が使われていると学びました。また、アドラーは「何を持って生まれてきたかではなく、それをどう使うかが重要だ」と言います。

支援者は、自閉症と診断された人たちの一定のルールを「こだわり」とラベリングすることがあります。しかし、「こだわり」と呼ばれる行動はその人が自分の潜在能力を活かして創り出した生き方ではないでしょうか。

参考 ↓




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