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今日の講演「暮らしの中に必要なボランティア」

今日は、地域の社会福祉協議会の依頼で講師をしました。また、私がこのような仕事をするときは、できるだけ私の事業所を利用してくださっている人たちにも一緒に行っていただき、お話をしていただくようにしています。

私は、障がいのある人が利用する事業所を経営しています。ときどき、講師依頼のお話をいただきます。今日のテーマは、「暮らしの中に必要なボランティア」でした。まず、私が概略を説明し、私が編集した動画の上映、その後、実際にその地域のグループホームで生活をするお二人にゲストスピーカーとしてお話をしていただきました。

理解とは予測から始まる

このような仕事の依頼文には、主催者の意図が書いてあります。そこに「理解」という言葉がよく書かれています。たとえば「障がいのある人を理解する」という具合です。しかし、何をもって理解をしたと成すのか、そこは、不明確です。

そこで、私は、「理解とは予測することから始まる」と説明をします。たとえば、自分の家の隣に聞いたことのない国の人が引っ越してきたとします。その人がどんな生活をするのか、どんな言葉を話すのか、それがわからないと不安です。ところが、だんだんその人の暮らしが見えてきたり、自分の言葉にどんな反応を示すか、それがわかってくると、その人と一緒に何かをしてもいいかなぁと思えてきます。町内会の活動に誘うことができます。距離が近くなり、話しやすくなったということです。これが「理解」の始まりです。だから「理解」とは「予測」することです。

また、今日のゴールは、障がいのある人の暮らしを知っていただき、ほんの少しだけ、力を貸してもらうことです。私からは、その力の貸し方を具体的に示して、活動につなげられるような話をしました。

普通の暮らしができない

今、福祉制度は、ある程度、充足してきました。ただし、福祉制度の欠点は、大きな課題やしっかりした目的がないと利用しづらいということです。しかし、私たちは、小さな困りごとや不便をたくさん抱えています。障がいがあるとなおさらです。

たとえば、簡単に買い物に行くことができません。ちょっとそこまででかけることができません。利用者の中には、毎日、送迎車で移動するため、コンビニ寄ることができない人、自販機でジュースを買うことができない人がいます。余暇、外出を支援する公的サービスは、一定のルールがあり、ちょっとそこまでのサービスには使えません。普通の暮らしができません。

また、休みの日に、グループホームに立ち寄って、一緒にお茶を飲んだり、テレビやビデオを見てくれる人、つまりは茶飲み友達が欲しいです。

最近は、ボランティアに対する社会的期待が高すぎる気がします。空いてる時間で、もっと気軽に、支えてくれるような人が増えると助かります。

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