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子どもは食べてないでしょうが

アサリ→スパゲッティボンゴレ→「北の国から」


 アサリのことを考え、「北の国から」を思い出していた。お腹すいた。

 ドラマ「北の国から」は「父五郎(田中邦衛)が不器用な男で」「都会的かつ現代的な妻いしだあゆみは伊丹十三との不倫に慰めを見出し家出」という設定だったか。そして父は子らを連れて富良野へ。姉への反発か、なぜか義妹の雪子(竹下景子)も同居するようになる。しかしアメリカにおける「大草原の小さな家」が家族の役割と絆の物語だとすれば、「北の国から」は役割を見失った家族が再生できないドラマである。家族はそれぞれそれなりに富良野の生活で成長を遂げるが、絆は心もとない。父である五郎は精神的支柱になれない。それが日本からの回答だったのだろうか。私は放送当時8歳であり記憶は不鮮明なのだが、「ボンゴレ」のシーンが忘れられない。

「食べたことありますか!」じゃねえよ

 五郎がホステスのこごみにボンゴレを作ってもらい、帰宅後その夜の記憶に浸りつつ、純と蛍に「君たち食べたことありますかスパゲッティ・ボンゴレ!」と聞くシーンがあるが、「親であるてめえが食わせたことがねえならねえだろ」という話ではある。子どもたちも母親に東京で食べさせてもらった可能性がゼロではないという複雑な背景も加味して視聴者がドラマを観るという番組ルールはあったが、「まだ子どもは食べてないでしょうが」と言いたくなる。
 ここでボンゴレは都会的文明的な何かの象徴であり、必ずしも開墾時代のような暮らしを望んで原野に移住したのではなく、単に都会から逃げて来たのであろう五郎の「揺れ」が見えるだろう。またボンゴレは「子どもと共有できない思い」でもあって、五郎の孤独を思うシーンでもあるのだろう。

ボンゴレはビアンコだったのかロッソだったのか

 しかし大人になって思うのは、オトナな関係になったであろうこごみさんに(こごみ私宅で)ボンゴレを作ってもらったことを小学生でしかない子どもたちに「うっかりでなくうっとり」話してしまう五郎の弱さである。 
 さすがに「ビアンコだけだったのか、ロッソにまで至ったのか」までは子どもに話していなかったけれど、やはり無批判に評価できる父親ではなかったと思うのだ。基本的にボンゴレの話はセンシティブと心得ろよな。

何でも子どもに理解してもらえると思うのはやはりちがう

 まだ東京にいた時、五郎と共に娘の蛍は母親の浮気現場を目撃してしまっている。息子の純が父に反発し娘の蛍が父に従順なのはそのためである。しかしその蛍とて、父もいよいよ他の関係を築くとなれば複雑だろう。子どもに丸ごと理解してほしいと五郎が思うのであれば、やはり未熟な気がする。
 (記憶では、五郎とこごみの仲はその後、特に進展せず終わる)

大人/親の孤立問題

 しかし親の中には、起きたことを全て子どもに聞かせる人がいるし「他に話す相手が誰もいない」というケースもある。批判されても仕方ないがわが子しかいないという人はいる。それは親の孤立問題かもしれない。いやいるだろ地井武男とか、と思うけど、そういう友達ではなかったのだろうか。不完全なオトナ/不完全な親には、いや誰にも、友人が必要だと思う。

そこは地井武男でいいだろう、と思いつつ

 五郎は傷ついた人であろうとは思う。起きたことは理不尽だっただろうし寂しいだろうし、それをストレートには言えないだろう。言えば崩れてしまうのかもしれない。そこで誰かに優しくされれば浮かれもする。初めてのボンゴレ。自分だって認められる男なんだと誰かに言いたくなる夜もあるかもしれない。――いや、だから地井武男に言えやと、それはそうなんだけど。

何でも家族にぶつけていいわけじゃないから

 私は五郎を切り捨てることができない。誰しも受け皿あって、バランスあって、役割を果たせる。機能できる。批判するだけでなく、そういうことも考え併せなければならない――そんな思いが強い。むしろ一定の年齢になったら子が親の手を引くのでよいと私は思っているくらいなのだが、しかし「子どもが受け止められる年齢にないなら」「親が心情を説明できず子どもに理解させられないなら」、親である前に一個の人間であることを理解してくれる相手は「家の外に」見つけるべきだ。半径5メートルの平穏を守るためには、そこからちょっと離れたところに受け皿が必要なのだ。

アサリからの結論。大人こそ「立場を離れて」話せる友人が必要

 登場人物の誰もが分かりやすく好かれる性格設定ではなかったあのドラマシリーズを思い出すとき、とりわけ五郎に共感することは難しい。理解はできるが共感はできない。それは彼が不完全な大人だからではなく、心を開こうとしないまま周囲の変化を望んでいたからだ。人生ではたまに砂を噛むことがあるのに、それをなかったように夫/父の顔をしていることはない。地井武男も大滝秀治もいたのだから、ぶちまければよかったんである。まずはSNSで気持ちを出す練習から始めるとか。まあSNSをペルソナや役割強化のために使い始めてしまう人も多いんだけど。


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