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Twitterは新しいメディアになるのか

Twitterアカウントを削除してからひと月が経とうとしていますが、Twitterのニュースは嫌でも目に入ってきます。今日は下記のようなニュースを目にしました。

イーロン・マスクさんは以前からTwitterを既存の伝統的なマスコミ、メディアに対抗しうる自由なメディアにしたいと話しておられましたが、この話もその延長線上にあるのでしょう。

私にとってTwitterは、まさに呟く場所でした。その呟きが共感を生み、あるいは共感できる人がフォローし、呟きに対して呟き返す。ただそれだけのものでした。そして、その緩い人間関係が心地良くて、そのデジタル空間にぼんやりと漂っていたのでした。

その心地よい空間に最初に侵入してきたのはマーケターたち。好む好まざるに関係なく怒涛のような広告やスポンサーたちの意を汲んだ自作自演者たちが繰り広げる虚言妄言のやり取りに辟易としました。そして、次に乱入してきたのがマスコミや自称知識人たちで、勝手に議論を始め、喧嘩になり、いつの間にか、寝首を掻かれるような殺伐とした会話が飛び交って、悪意の応酬になるといった地獄のような空間へと変貌してしまいました。

このマスクさんの対応で、そのTwitterに何かしらの変化が訪れるのでしょうか。今回のこの記事に対してTwitterがNoteと同じになるのではないかと言及する方が多い気がしますが、私はそうは思いません。Noteはクリエイター側を中心としたツールで、閲覧されることはその副次効果に過ぎないと割り切ったサービスだと私は捉えています。ですので、私はNoteに記事を書くことはあっても、書いてあるものを読むことはほとんどありません。有償で読みたい記事を読ませるなら、どちらかと言えば、日経オンラインなどの既存マスコミが提供するオンラインメディアやNewsPicksと競合することになるのではないでしょうか。

いずれにせよ、私にとってTwitterはかつての居心地の良い場所では無くなってしまったので、そこに戻るつもりはありません。Facebookも訳の分からないタブロイド記事や広告ばかりになってしまって、フレンドからメッセージをもらったとき以外はアクセスすることもなくなってしまいました。いわゆるSNSというツールは今後どのようになってしまうのでしょうか。インターネットの申し子のようなSNSの変化はインターネットそのものの変化を現しているようにも感じます。その視点で、今後は生暖かく人ごととして眺めていくことにします。

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