成年後見人制度/ボランティアを導入するために!
成年後見人制度とは、自分での判断が難しい状態(認知症、老年、知的障害など)において、金銭も含めた様々な意思決定を本人主体で支援するための制度。
日本では総人口1億2千万人に対して法定後見制度の利用者が約20万人であるのに対して、ドイツでは総人口8200万人に対してわが国の法定後見制度に相当する世話制度の利用者が約130万人となっており、わが国の約6.5倍の利用件数があり、しかも利用件数は毎年約10%増加している。
引用:https://yab.yomiuri.co.jp/adv/chuo/opinion/20120611.html?fbclid=IwAR1uf87CdMVwoyud9aZeIa9I2x_uQlujBJ1TVnbq0fFcAE_kHQXMue2JUdk
この数的な増加を担う人が「ボランティア」の世話人であり、その世話人を増やすための中間団体に訪問し、ドイツでの現状について学んだ。
DRKドイツ赤十字 成年後見人運営組織 DRK-Bremen
https://www.drk-bremen.de/angebote/referat-betreuungsrecht/referat-betreuungsrecht/
核家族化の最終形は独居であり、高齢化社会では代理意思決定者を準備していく必要がある。ただ、陪審員制度のように、ひとびとの「常識」や「価値観」を反映する法的プロセスは、専門家が流れ作業的・画一的に行うよりは、こころのかよった等身大の支援者がともに悩んで決めた方がよくなるのではないかというコンセプトで、ボランティアが後見人になる仕組みを作っていくと決めている。
訪れたのはブレーメン市の赤十字で、地域に2か所ある中間支援団体(ボランティアを発掘、教育、支援する)のうちの一つである。1992年に州政府から許可を得たのち長く活動を続けている。
後見人の担い手は4つ
職業的支援者 (行政書士、司法書士、弁護士)
宗教者
家族
ボランティア
という4つのカテゴリー。
【なぜボランティア?満足度はどうか?】
国として進めていきたいという方向性は理解できるが、実際にたのむ本人からの視点はどうかということで尋ねてみると、「より満足しているようだ」という担当者の話。
データ的な裏付けはないし、アンケートもとりにくいだろうが、そこはまた仕組みの初期であるからレベルが十分でないかもしれない。こういうところで満足度が低いというデータがでたところで、方向性としては間違っていないと考えれば、そのまま試行錯誤を繰り返していくしかない。
【財政的な支援】
これまでは一人のボランティアに対する予算は年間4万ユーロだったが、2023年から1年間7万ユーロの予算が付くようになった。ボランティア本人には年間で400ユーロしかでない。時間的な拘束、移動の実費などをこれでまかなうということになるがさまざまな人へのある種「ケアマネジャー」的な意思決定支援を含むので時間・労力・精神的な負担感はそれなりにあることが予想される。また未成年の後見人には一か月に1回が必要とのこと。日本にも保護司などの枠組みはあるが、実際のところは知らないが、やってくれる人はいつも相当徳の高い人々なのでおそらくそういう人たちが担ってくれているのだろう。
【ボランティアの人はどんな人?】
以前は定年退職した方が多かったが、現在は40-60歳で、比較的高学歴、裕福な人とのこと。人一人の人生に積極的にかかわって、見届けていくということも十分複雑で、やりがいのある仕事なんだろう。給与を高くしないのは職業的になってしまうともともとの理念に反するから。良いものの原則を決めて、そこからぶれないように、より社会全体の力を使えるようにという姿勢がよいと思った。
最後に 成年後見人について
陪審員制度が、市民主体になったように成年後見人もおなじようにしたらいいのではないかという概念。専門家よりもうまくできる人がいるのであれば、その人たちを長期的に育てていくことが社会にとっていいのではないかという考え方。思考・政策の時間的な奥行きが長く、より叡智に基づいている感じ。場当たり的な、専門家集中型の政策では、社会全体の参加に結びつかないし、早晩破綻する。「問題解決の完璧性」という狭い視野での最適化ではなく、より広い時間的・空間的な最適化というのが日本では足りていないというのが全般的な感想です。
「完璧にこだわりすぎて、肝心なところで資源不足になること。」
「和を尊ぶあまり、変化への対応が遅くなり、縦割りから逃れられないこと。」
一人一人をとればスーパーなほどの努力を惜しまない日本人が総和として劣ってしまうことの元凶からもしれない。長期×分散という方向性に伸びていくこと。成年後見人制度も、手間暇+お金がかかるけどボランティアをサポートするような二次団体を作ることは長期的には価値のあることではないかと思っています。
町の中のいたるところに樹齢100年を超える太い木があり、ゆたかであること。短期的な視点にならず、全体最適を目指し続ける社会としての賢さが、脈々とこの地には根付いていること。翻って日本にも同様の緑があるべきなのにそこまで考えついていない、戦後に無計画に「自由・・・というより無秩序に」拡大した町が少し残念と思えています。
「成年後見人生徒という権利擁護×ボランティア的な人材によって行われるもの」
確かに日本人が苦手な分野なんだろうと感じさせるものがありました。
訪問先情報: DRKドイツ赤十字 成年後見人運営組織 DRK-Bremen
https://www.drk-bremen.de/angebote/referat-betreuungsrecht/referat-betreuungsrecht/
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