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1980年代初頭のプロ野球

2023年8月26日
久しぶりに野球中継を見た

先日、東京ドームの巨人阪神戦についてインスタに投稿した。大学時代の同級生の阪神ファンGがLINEで「今日はドームに行くぜ」と連絡してきたので、久しぶりにテレビで見たのだ。最近ではプロ野球中継も珍しくなったが、たまたまNHKでやっていた。

2023年8月26日
Instagramに投稿した写真

インスタに投稿したこの写真に1塁側カメラマン席が写っているが、その中のひとりが別の同級生のNに似ているのに後で気づいた。彼が勤務する某スポーツ新聞社の翌日の記事に、このホームランのシーンの写真があり、クレジットはNになっていた。角度的にも絶対にこれはNだと思った。

Nにメールで聞くとだいぶ間があって、「確かにそれは私です!」と返事が来た。私はテレビカメラを通してだが、Nと向き合っていたわけだ。その時の投稿にも書いたが、阪神ファンのGはレフトスタンドにいた。後日談によるとGの中学時代の同級生も、何と日テレ系のテレビスタッフでそこに居合わせたらしい。

イベントの面白さは「その日その時その場所にいた」あるいは「その時間にそれを見ていた」ってことなんだろうな。

1981年頃のオープン戦

プロ野球の実体験について書いてみよう。私は1965(昭和40)年茨城県生まれ。小学生の頃は巨人戦のすべての試合が生中継されていて、放課後はクラス全員で野球をするのが当然だった。茨城では確かこの頃は公式戦はなかったが、毎年春先のオープン戦で1試合だけ巨人対日本ハム戦があった。真新しい水戸市民球場だったと思う。

中学から高校にかけて2年くらい続けて行ったと思う。日ハムには江夏がいた。調べてみると江夏が日ハムに在籍したのは、1981年から1983年。81年と82年は確実に見に行っている。3月頃だから中3と高1の終わりだ。

私はペンタックスを持って内野席にいた。試合前の練習を終えて選手たちがベンチに帰ってくる。お目当ては江夏だった。カメラのファインダーを覗きながら声を限りに叫んだが、江夏は大勢のファンの方をまったく見ることはなかった。日ハムの選手たちはほぼ全員がパンチパーマ。ファンサービスなんて全くなかった時代である。

当時のカラープリントがどこかにあるはずだが、仕事部屋の奥深くに埋蔵されてしまい探し出せない。記憶にあるのは、顔を右や左にわざと向けて撮られまいとする江夏の写真だ。

この時の印象は試合よりも試合前の方が強い。テレビでは見られない所である。守備練習での外野手のキャッチボール。「あんなに離れて相手の胸にしっかり投げる!凄い!」と思った。打撃練習では何と言ってもソレイタだ。いとも簡単にライトの場外にボンボン運んでいた。1981年頃のスポーツ紙の「ソレ!イッタ!」や「おソレイッタ!」ソレイタ選手〇打席連続の〇〇号!という見出しを思い出す。

野球選手のモノマネが上手かったM

少し年月が戻る。1980年。中学3年生。5月に修学旅行があった。最後の晩にホテルの大広間の舞台で、クラスごとに出し物をした。3年B組はS先生を始めとして面白いクラスだった。

まず女子が4〜5人でシャネルズの「ランナウェイ」を歌う。その後はグループごとに何か得意技を披露していった。私は野球好きのMと2人でプロ野球選手のモノマネをした。

今までにさんざん書いた大学の同級生Mとは別人だ。中学時代の同級生Mである。

Mが舞台中央に立ち選手を演じる。私はかたわらに右膝をついてしゃがみ実況アナウンサーになる。王選手の本塁打世界新記録の756号。両手を上げて走り出す王。後ろでピョンピョンと飛び跳ねる張本。最もウケたのはシピンの豪快な空振りとエラーだった。

あと記憶にあるのは、広島のデュプリーと阪神の竹之内だ。Mは投球を待つ間のバッターボックスでの仕草を完璧に真似ていた。

これまた段ボール箱の奥底に沈んでいて発掘できないが、卒業アルバムには大広間後方右側から写真屋さんが撮った写真が収められているはずだ。手前に大柄なJが笑う横顔。小さく舞台上の2人。

事前に何度も2人で真剣に練習を重ねた。しかし本番に限って少々ドジなMは段取りを間違えた。とっさに私がアドリブで救ったのだった。

担任S先生は「燃えよドラゴン」のブルース・リーに似ているので、歴代の生徒たちから「ドラゴン先生」と呼ばれていた。出し物のエンディングは、S先生が上半身裸で「アチョー!」とヌンチャクのモノマネをする。そしてクラス全員がワーッと出てきて、先生を担ぎ上げて舞台からはけていくのだった。同じ3年B組だったし「金八先生」に影響されていた。

翌日。茨城に帰る日。上野の西郷さんの銅像前に全員が並んでいた。トイレ休憩だ。時間が余り先生も手持ち無沙汰になったのだろう。学年主任のT先生が突然、「おう。Mと朝日!昨日のアレ、ここでやってみろ!」と言った。

昨日のミスを取り戻すべくMは張り切った。私もそうだ。Mのモノマネは本当に上手かった。生徒だけでなく上野公園にいた一般の人たちも、我々の前に人だかりになった。そしてまるで大道芸人のように拍手を受けたのだった。

「お前ら!就職決まったな!」とT先生と担任のS先生は笑った。思えば大らかな時代だった。Mは卒業文集にその時のことを書いた。ミスをしたが私に助けられたこと。上野公園で演じて度胸がついたこと。

秋になると地元の駅前商店街でお祭りがある。私はMや写真クラブの連中と繰り出した。Mは朝一番に床屋に行き、髪型をガッチリ決めた。そしてカラオケ大会で「くちなしの花」を熱唱し、中学生の部?で確か優勝か準優勝をしたと思う。芸達者な男だった。

翌朝の教室で。担任のS先生は「いやーなんだか頭をビシーッと決めた人が上手に唄っているな〜と思って、よーく見たらMじゃねーか」と言って笑った。先生たちは見回りをしていたのだろう。

Mは中学の途中で引っ越しをした。学区外だったが転校するのが嫌でバスで通っていた。朝は必ず私の家に寄り、私の準備が出来るまで玄関の鏡で髪型を整える。彼のお父さんは新聞の拡張員。お母さんは綺麗で派手だった。当時は子供なので分からなかったが、ある種の「流れもの」のようなお父さんだった。

1981年8月30日(日)
巨人対阪神
後楽園球場

さて、ようやくトップの写真の話になる。Mのお父さんが後楽園球場の巨人阪神戦の切符を2枚融通してくれた。Mは私を誘った。初めての公式戦。初めてのナイター。初めての大観衆だ。ここまで書いてネガを探した。モノクロネガは時系列で整理してあるのですぐに出せる。1981年8月30日。高校1年の夏休み最後の日曜日だった。

キャプションの最初の二桁数字はネガのコマナンバーだ。36枚撮りのフィルムをきっちり36枚だけ撮影している。富士のネオパン400を1600に増感したと書いてある。

03.阪神の先発メンバー
04.巨人の先発メンバー
江川と小林の因縁の対決だった。
05.初めてのナイターにワクワクした
 3塁側の2階席   
新聞の景品チケットだが1塁側は入手が難しかったのだろう
07.江川
08.小林
14.掛布の守備
18.全景
33.中畑ホームイン
バンザイしているのは淡口だ
35.8回裏終了時のスコアボード
36.江川が完投勝利

ご覧のように特筆すべき写真はない。しかし座席の場所、高校1年生の機材と技術ではこれが精一杯だっただろう。コマナンバー35の写真を見ると8回裏終了時点で20時10分。試合開始は18時だから、点が入った割に試合時間が短い。江川のテンポの良い投球と、阪神の淡白な攻撃によるものだろう。この4年後に阪神が優勝するとは夢にも思わなかった。

茨城県の日立市からのバスツアー。未成年も多く、日立に何時までに到着するために、後楽園出発は何時と決まっていた。「試合終了まで見られない可能性が高い」と前もって言われていたので、最後まで見られて嬉しかったのを覚えている。

この日の試合を検索すると・・・
7-1で巨人の勝利。巨人14安打。阪神6安打。江川が完投で18勝5敗。小林が負け投手で10勝9敗2S。阪神の投手リレーは小林~福間~伊藤~益山。篠塚と中畑と原が3安打。本塁打なし。コマナンバー35のスコアボードでギリギリ写っているが、川藤が代打で出たが三振だったらしい。

この試合に一緒に行ったMの話に戻る。彼は優しい奴だった。芸達者なのは両親の影響だろうか。中学校卒業式の日。Mのお母さんは水色だったかオレンジ色だったか、とにかく色鮮やかなロングドレスで出席した。その姿はまるで八代亜紀のようだった。Mが「あーもう。派手な格好で来るなって言ったのに」としきりに照れていたのを思い出す。

今ごろ、どこでどうしているだろうな。

おまけ

1987年9月6日

1984年に上京するとパリーグの試合に魅せられた。セリーグとは違い観客は少ないが野武士のような選手たちがいて、その勝負が面白かった。これは1987年9月6日。日本ハム対南海。土曜日のデーゲームだ。レフトスタンドの左中間の前の方だ。ほとんど完成した東京ドームの姿が見える。こうして見ると大きいな。

東京ドームのオープンは1988年3月。都市対抗野球のチケットをタダでもらって見に行った。1人だったと思う。新日鉄堺の試合で、投手はあの野茂。バックネット裏の上の方の席だった。調べると1988年か1989年だ。変な投げ方(トルネード投法)でもの凄い球を放っていた。なぜか写真は撮っていない。

ドームの印象は入場する時に強風に煽られたこと。白い天井があって、なんだか打球の飛距離や飛ぶ方向が分かりにくかったことを覚えている。やはり青空や夜空に舞い上がる白球の清々しさには勝てないなと思った。もちろん暑さ寒さや雨風はしのげるし、選手も観客も楽なのは良い事だ。今年の猛暑の甲子園なんて愚行である。それは認める。

しかしその後は野球への興味も急速に薄れて、その時に社会人の野茂を見たきり、そういう大きな球場へは足を運んでいない。

おしまい。


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