『超一流になるのは才能か努力か?』

8月28日水曜日、雨のち曇り

ぱらりぱらりと降る雨。面倒なので帽子だけかぶり傘を持たずに出社。

サーバーAPIの変更対応を済ませてプルリクエストを出し、あとは出されていたプルリクエストのレビュー。大量のコピペコードを見て凹む。
そりゃあね。コピーしたほうが楽だったりすることはある。動作することの確認に手っ取り早い方法だってのも認める。
けれど最終版にするならせめてコピー元との共通化はしてほしい。(じゃないと似ていつつも細部が違うコードのダブルメンテという苦行が後のメンテナーにのしかかる)
というのを、10年選手の同僚に角を立てないようにどうやって伝えたらいいんだよ、ちくしょう。

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『超一流になるのは才能か努力か?』を読み終える。(楽しかったので二日で終わった)

信じられない技能・能力を開花させた人たちには、天賦の才があったのか? という問いに対して、そんなことはない、すべてたゆまない練習・努力の結果だ、といういくつもの観察を通してのお話。

単純に1万時間の努力が才能を開花させるのでもない、ということも繰り返し書かれている。

自分ができることのほんのすこし外側、できそうでできない部分に対して、繰り返し鍛錬を積むことで乗り越えること。
すこしずつ達成できるようステップを小さく刻むこと。
「正しい」形を知っていること。間違えたことを即座にフィードバックされること。どのようにして正しい形に戻るかサポートが得られること。

限界などないこと。頭打ちになったとしても、別の角度から、違う方法で試すことでブレークスルーが開けること。なぜ失敗するのか分析できること。
漫然と時間を過ごすのでなく、練習にはありったけの集中力を持って臨むこと。自分の動作のすみずみに気を配ること。
知識をためるのでなく、技能、結果を出すことにフォーカスすること。(それにより必要な知識が身につく)

はじめるときに、遅すぎるということはないこと。(歳をとっていればとっているなりに、違った形で才能を磨いていける例も書かれている)

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「正しい」結果を知り、現状のパフォーマンスと比較して、これとの誤差を小さくするために繰り返し練習する。この本で紹介される限界的練習法のキモはこのようにまとめられるとおもう。

そしてこの限界的練習法は、あまりにも今をときめく(いや、2、3年前にときめいた?)ディープラーニングの学習に似ていると感じる。(大量の教師データを用意し、その正解に近づくようミニバッチでの学習を繰り返す。教師なし学習というのもあるけれど、これだって自分で教師データをつくりながら学ぶということに他ならない)

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