タダ乗りされる不快感
9月13日木曜日、晴れのち小雨
今日は大丈夫だろうとおもっていたけれど、帰宅前に降りはじめた。
ここのところ雨が多い。
秋は抜けるような青空というイメージなんだけれどねえ?
* * *
さて、今日はなにがあったんだったか?
ツイッターを遡ってみたところ、なんだか腹を立てているねえ、僕は。
すなおに寝たほうがいい。
帰宅中の電車、乗り込んできたおじいちゃんが「どけ」と言わんばかりに無言でカバンをぶつけてきたことに腹を立てた。
会社で電気ポットが空っぽになっていることに腹を立てた。
いやあ、小さい! 清々しいまでに小さい!
* * *
しかし、しかしだ。
電気ポットのお湯にしても、トイレットペーパーにしても。
使いきったことを見て見ぬ振りをできてしまう心性は、どこから湧いて出るんだろうか?
ところでこの修辞、「どうして〜なのか?」を使ってしまうのはなぜなのだろう?
いや、違う。
こういった疑問の答えが欲しいのではない。
もとい。
電気ポットのお湯にしても、トイレットペーパーにしても。
使いきったら後の人のことを考えて足そうという心の余裕を持ってほしいなあ。
* * *
お前らがしなかった、後の人のこと(それがそのまま自分ということもあるぞ!)へのちょっとした配慮。それは別の人がカバーしているんだぞ。
いつまでもタダ乗りしているんじゃないよ、お子ちゃまじゃあるまいし。
* * *
それともなんだ、
空になったポットに水を足すとかの小さな親切を、ボランティアに求めるのが間違っているのか?
これが来たる東京五輪の悪夢を生み出す根元たる考え方、日本人の真髄なのか?
毎日、最低1回、多いときは3回くらい僕はポットに水を足しているんだけれど、まずこれを止めてしまえばいいのかも。
空になっていたら自分が使う分だけ足して、使って終わる。
誰かが使った残りがあったのなら、自分が使った分とコーヒーもう一杯分くらいは足してあげる。
それで誰かさんが不自由を感じるようになったら、ひょっとしたら変わる、かもしれない。(落胆せずに済むよう、あまり望まないのがいいのだろうけれどね)
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