自己肯定感

11月20日火曜日、晴れ

幸せに暮らせるかどうかは「自己肯定」できるかに大きく依存しているとおもう。自分が好きかどうか。

我が身を振り返って、僕は自己愛は強い。これはかなりの確度でそうおもう。一方で肯定感は高くない、とおもっている。
「これでいい」という満足がしづらく、また、なにかを決めるときに「これでいい」と割り切れない。(決めたとしても、その後うじうじ悩む)

認められたい、認めてほしいという欲求が強い。

これは物差しを外に求めていて、自分の中に基準がないからだろう。ひっくり返すと、これは他人を認められないということにも繋がっていそうだ。

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他人の力を借りて、自分を「育てなおす」
自己肯定感とは、「自分が自分についてどう考え、どう感じているか」によって決まる、自分の価値に関する感覚。

つまり、最終的には自分の中で完結する感覚なので、他人からダイレクトに自分の自己肯定感を高めてもらうことはできないのです。

とはいえ、自己肯定感には、自分から少し離れた視点で自分を見つめる感覚が不可欠です。そういう意味では、自分が他人を見るときのような感覚が必要だし、それは他人との関わりのなかで育まれるものだと思います。

自己肯定感は、自分1人の孤独な努力によって高めるものでもないし、他人から一方的に高めてもらうものでもない。つまり、自己肯定感を高めるには、自分も他人も大切だということです。

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Done is better than perfect.(ザッカーバーグだっけ?)

完璧主義 perfectionism は、そう表現すると「完璧」を追い求める職人気質のようにも見えるけれど、怠惰・先延ばしの procrastination だとも言える。

僕もいつまでたっても完成させられないクチなんだけれど、 done is 〜、には、もう少し隠れた意味がある気がする。

どこで「Done」にするか。
締め切りを、未完でも、これで「終わり!」と定めること。
それができるか、できないか。

他人を認める、
自分を認める。
これらは(中途でもいいので)「終わり」・「目標」を決めること、自分で決められることに繋がっているんじゃないだろうか?

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目標・終わりを決めることは難しい。だから、時間を決めて、その時間が経過したら「完成」にしてしまうというところから練習すると、ひょっとしたら自己肯定感が得られる境地にたどり着けないだろうかなあ?

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