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ジンジャーエール×ラズベリー×レモングラス 『夜の世界に染まり始めた、甘党のホスト』

二日酔いの朝はジンジャーエールに限る。
前夜、新宿ゴールデン街でしたたか痛飲。気がついたら路上のゴミ捨て場で寝ていた。一体何があったのか。知っている人がいたら教えて欲しい。いや、やっぱりあんまり知りたくないかもしれない。

這々の体でたどり着いた自宅の冷蔵庫からジンジャーエールのペットボトルを出して、それを一気飲みする。
ジンジャーエールの甘みと炭酸が粘つく口腔を洗い流し、喉を潤す。ほのかな辛さが、乾いた全身を満たしていく。
心なしか体温も上がってほっとした気分にもなる。カナダドライのジンジャーエールの中に体温をあげるほどの生姜が入っているとは思えないが、確かに温かいような気がいつもする。

ほのかなジンジャエールの香りとぬくもりに包まれながら、不思議な安堵感と共に、俺はようやくベッドで眠りにつく。

二日酔いの朝は、ジンジャーエールに限る

最近はすっかりシーシャバーで仕事をするのが日課になりつつある。
ジンジャーエールと昼寝で随分酒は抜けたが、まだ頭の芯に鈍い痛みが残っている。最後にアルコールが抜けていく時特有の、粘ついた汗が額から湧き出すのを感じる。

本当は何もしたくない気分だったが、仕事の原稿の締め切りが近い。
俺はげっそりした顔のまま、ホストだらけの新宿歌舞伎町の先にあるシーシャバーに辿り着き、カウンター席でパソコンのキーをタイプする。

この日MIXしたフレーバーは、ジンジャーエール×ラズベリー×レモングラス。
ジンジャーエールの香りの中に、甘ずっぱいラズベリーと、レモンに似ているけれどレモンよりも泥臭さを感じる、レモングラス。

ドリンクはジンジャーハイボール。仕事中に酒飲むな、という話だが、迎え酒ということで1杯だけ見逃してほしい。とにかく、二日酔いの朝はジンジャーエールに限るのだ。もう夕方だが。

運ばれてきたジンジャーハイボールを見て、ジンジャーエールの色は夕陽に照らされたホストの派手な髪の色とよく似ていると思った。
ラズベリーとレモングラスという、どこか野趣溢れる香りと相まって、なんだか上京したてのまだ田舎っぽい、新人ホストみたいだ。
そんな若者が、この歌舞伎町にはたくさんうろついている。

誰もがみんなかつては子供だったはずだ

大学のゼミの飲み会で知り合った彼は、整った顔をしていたけれど、どちらかというと地味でおとなしいタイプに見えた。黒髪、ユニクロのパーカー、汚れたニューバランス。
お酒はあまり飲み慣れていない様子で、すみっこの席でちびちびとジンジャーハイボールを飲んでいた。

そんな彼が二次会のカラオケで、先輩たちにテキーラや安物のシャンパンを飲まされて、店の外で酔い潰れてゲロを吐いていたのを俺が介抱したことが、2人の出会いのきっかけだった。
お互い大学近くのアパートに住んでいたこともあり、タクシーに乗せて彼の家まで俺が送って行くことになったのだ。本当は俺も、大学生特有の背伸びしてやかましいノリに辟易していたし、シャンパンやテキーラは嫌いだ。

彼を部屋に運んでベッドに寝かせて帰ろうとすると、腕を引かれてそのままベッドに引きずり込まれる。
その夜は俺も酔っていた…ということにして、彼にされるがまま、その華奢な腕にされるがままになることにした。

翌朝、青白い顔をした彼に水のペットボトルを渡すと「冷蔵庫にジンジャーエールがあるから持ってきて」と言われたので、ベッド抜け出して冷蔵庫を開けると、そこには二リットルペットボトルに入ったジンジャーエールが何本も入っていた。酒だらけの俺の家の冷蔵庫とは大違いだ。

ペットボトルを持っていくと彼はそれをラッパのみにして、俺にもそれをくれた。

「あ、間接キスしちゃった」

俺は彼をとても好きになった。

アッシュ系のゴールドはシャンパンよりもジンジャーエールを連想させる

北海道から出てきて、アルバイトで生計を立てながら学校に通う彼は、酒よりもジュースやお菓子が好きだという朴訥とした男だった。
同じくらいのど田舎から出てきて、しかし親の金で生活をし、毎晩酒ばかり飲んでいた俺にとって彼はとても純粋で、眩しい存在だった。

恋人ではなかったが、俺たちは一緒に授業を受けたり、時々寝る関係になっていった。別に酒がなくても、ジンジャーエールだけでも、彼といるのは楽しかった。

そんな彼がある日突然、髪をアッシュ系のゴールドに染めて登校してきたものだから、驚いたのは俺だけではない。
何があったのだろうか。みんなで問いただすと、歌舞伎町でスカウトされて、ホストのアルバイトを始めたのだという。
親の援助もなく、コンビニのアルバイトだけでは生活が苦しいことを知っていた俺に、それをとやかく言う権利など当然ない。

そして彼は変わっていく。
授業にはあまり出なくなり、髪だけではなく、服装や靴も派手になっていき、それまで付けていなかった安っぽい香水の香りまで纏うようになる。
当然俺たちが会う回数も、どんどん減っていった。

若さとは残酷なもので、学校に来なくなった彼のことを俺は徐々に忘れていき、別のセックスフレンドも何人か見つけ、その男たちと寝るようになった。酒を飲みながらするセックスは、気楽で、無責任で、麻薬的で、シンプルに気持ちがいいということも覚えた。

久しぶりに抱きしめられた男からはシャンパンの匂いがした

学校を辞めたという噂が流れ始めた頃、彼から突然連絡が入る。

「初回なら安いし、1回飲みに来てよ」

誘われるがまま、歌舞伎町にある小さなホストクラブに行くと、そこには彼がいた。
煌びやかなスーツを着て、金色の髪をなびかせて、女の子たちに囲まれて、シャンパンを一気飲みしていた。あんなに嫌いだと言っていたシャンパンやテキーラを、嬉しそうに飲んでいた。

それを見て、俺は彼をとても綺麗だと思う。
会ってないわずかな間に、なんと彼は店のナンバースリーにまで上り詰めていた。
俺の隣に座った彼からはアルコールの匂いがして、彼を途方もなく遠い存在に感じてしまう。

帰り際、彼は俺からお金を受け取らなかった。
見送りで一緒に店から出た俺の腕を掴んで、路地裏に連れ込むと、強く抱きしめる。
久しぶりに抱きしめられてキスをすると、全然知らない男の香りがした。

「忙しくなったけど、また昔みたいに遊ぼうよ」

そう言う彼に、そうだね、と微笑みかけて、俺はもう2度と会わないだろうという予感を募らせた。

その時、俺が好きだったのはシャンパンではなくジンジャーエールやお菓子を好んでいた子供っぽい彼であったことを思い知る。
今の彼の、アッシュ系の美しい金髪の色だけが、あの頃彼が大好きだったジンジャーエールを彷彿とさせて、余計に悲しかった。

今でも彼は二日酔いの朝、ジンジャーエールを飲んでいるだろうか。
人の生き方はそれぞれ勝手だし、俺だって好き勝手に生きて変わっていくが、どうか願わくばそれだけは変わらないでいてほしい。

人は変わり続けることしかできない

他人にいつまでも変わらないでいてほしいと願うのは人間のエゴだ。
自分はいつだって変わりたがるくせに、それを棚に上げて他人に幻想を押し付けることは、途方もなく身勝手なことだ。

ジンジャーエールのフレーバーと、ジンジャーハイボール3杯でほろ酔いの俺は、店を出て歌舞伎町を彷徨っていた。
すっかり夜も更けた歌舞伎町には、ジンジャーエールみたいな髪色のホストがたくさんうろついている。

俺にもかつて駆け出しのホストに恋をした過去があるが、やはり彼が売れてどんどん夜の世界に染まっていくのは見ていて辛かった。
だが人は変わるし、いつまでも子供のままではいられない。

彼が今の俺を見たらどう思うだろうか。あの頃俺は何者でもないただの大学生だった。だが今はこうして夜の歌舞伎町を彷徨いながら、おっさん向けの風俗記事なんて書いている。
俺自身は自分の人生に文句はないが、彼がそんな今の俺を見たらどう思うだろうか?

あんなに仲の良かったはずの学生時代の親友たちと、卒業後突然話が噛み合わなくなってしまうように、人は変わり続けなければいけない。
それは寂しいことだが、仕方のないことでもある。

金髪のホストたちの看板を見上げながら、もう少し飲んでから帰ろうと思った。
この調子じゃ今夜は飲みすぎて、多分明日の朝も二日酔いだろう。
帰り道で忘れずにジンジャーエールを買ってから帰らなければ。

メモ:
ジンジャーエール×ラズベリー×レモングラスのフレーバーは、夜の街に少しづつ染まって変わっていく、過渡期の男のような香り。誰しも子供のままではいられない。だけど変わっていくのは他人ばかりではなく、自分だってそうなのだ。誰も悪くなくても、別々の道へと別れていかなければいけない瞬間というのは、人生や恋愛にはよくある。


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