「おぐぴょん、本当にやる奴は勇気じゃなくて、覚悟がある奴だよ」


「仕事と子育てはいつでもできる。でも、自分に対する愛は青春期にしかないよ、おぐぴょん。」

青春期とは、社会に対する単なるモラトリアムではない。

自分が社会の一員として、子供たちの未来を支える前の、大人でも子供でもない崇高な時期だ。

最近、微頭痛ぎみなのには、きっと理由がある。

「周りの人からは悩みがなさそうに見えるが、もともと悩みやすい性格で、常に何かを背負いがちなんだよね。でもそのプレッシャーが自分を駆り立てる。」

この会話は、8年前にある人物と共感共有した会話だ。

チャリダーとして出逢って、17年。

プロ冒険家・阿部雅龍。

南極に3度たち、41歳と若くして亡くなった仲間だ。

彼の訃報を聞いたのが、実はモンゴル自転車冒険旅をしていた2024年3月。

訃報とは、いつ聞いても突然なもの。

南極自転車冒険は、モンゴル自転車冒険旅の先にある以上、走っている最中も阿部くんを意識していた。

だからこそ、運命過ぎるものを感じた。

私の知っている同世代の人物で、プロ冒険家と呼べる人物は数人しかいない。

阿部くんは、人生を冒険にかけ、冒険に生き、そして冒険の中で亡くなった。

自分が目指す冒険のベンチマークをひとつ、白瀬矗ルートに設定しており、その後の冒険はスタイルを変えていくと笑いながら話していたのが懐かしすぎる。

それまでは仕事にも就かない、結婚もしない。

阿部くんの死因は、冒険最中ではなく、脳腫瘍だった。

ストイック過ぎる彼の生き方が、もしかしたら彼の脳をいじめたのかもしれない。

SNSにしてしまうと、彼の死は“ネタ”になってしまうと思い、彼の死の直後には、言葉にしたくはなかった。

今、やはり自分の中で彼の死を言葉にする必要があった。

阿部くんと会ったちょうど1年後に、阿部くんをサポートし続けたモチヅキの西脇さんと会い、阿部くんの話をしたこと。

「阿部くんと再会したちょうと1年後、西脇さんがやってきたのは運命だ。阿部くんの会話が生まれるということは、その人の中に冒険要素があること。阿部くんは、こうやって我々の中に冒険を飢え続けて、我々の中で冒険をし続け、生きている。」

そして今も続く、微頭痛の原因が冒険への飢えからも来ていること。

やはり1度、ここではっきりと自分の心を整理しよう。

「おぐぴょん、本当にやる奴は勇気じゃなくて、覚悟がある奴だよ」

この言葉も二人の書籍から生まれた言葉。

やった結果を持ったものしか、言葉は与えられない。

認めたくなかったが、やはり阿部雅龍は自分にとっての“ライバル”だ。

プロとソーシャル。

彼の認めるいずれかの冒険家として、いつか認めてもらえる活動を続けたい。

阿部くんの死を心から悼み、ここに気持ちを綴らせてもらいました。

健やかなる魂、ずっとずっと願っています。

今年の秋、自分なりの形で墓参りに行くよ、阿部くん。

ひとまず、そっちで待っててね。

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