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今日の仕事は楽しみか、そしてなぜ働くのか

きっかけ

ここ最近、自分の中で急激に温度感の高まった「なぜ働くのか」について記していく。
きっかけは幾つかあるが、大きな事の発端は、少し前にSNSで物議を醸した「今日の仕事、楽しみですか?」のディスプレイ広告。
(知らない方は”品川 広告 NewsPicks”とでもググってみて)

ちょうどその頃、評価面談にて、異動から五ヶ月経った自分のパフォーマンスを振り返る機会があった。そこで、自分が「今日の仕事、楽しみですか?」と聞かれたらなんて答えるかなと考えてみた。(そこでの結論は後述する)

ちなみに、そこから2、3個の象徴的な出来事も重なった。
1つ目は、先週訪れた、Snow Peak本社でのイベントにて。同世代のスタッフの方に「仕事は楽しいか?」と聞いたら間髪入れずに「めちゃめちゃ楽しい」と返ってきたこと。2つ目は、今週末、社外のとあるコミュニティの朝活に参加した際、朝の7時台から「亮平はなんで働くの?」と質問されたこと。3つ目は、今年から東京で社会人となった弟とのランチにて、「仕事は楽しいか?」と聞いたら、「きつい、戦いだ」と返ってきたこと。

正直、異動後から現在までの半年弱は、仕事の意義とか目的を考える暇もなく、ただ毎日を生きるのに必死だった。
たまに、「仕事の学びをnoteに書こうかな」とか「3ヶ月の良い節目だし振り返りをしようかな」とか思ったりもしたが、この手の振り返りを行うのと文章を書くのは、結構な時間と労力が必要になるので、いつも後回しにしてきた。

ただ、2021年も残り3ヶ月を切ったこのタイミング。また、仕事に一定慣れが出て、成長曲線が以前ほどシャープじゃなくなっている今、改めて気を引き締め直してラストスパートをかけていくために、考えたことを記していく。

「今日の仕事は、楽しみですか?」

冒頭、”自分が「今日の仕事は、楽しみですか?」と聞かれてどう答えるかな”と考えたことに関して。YESかNOで答えるなら”YES”だ。ただし、いろいろな意味を凝縮したYES。

正直、今の仕事はキツい。自分の課題、弱みを日々グリグリと掘られる感覚。しかも、イケてないクソみたいな上司に指摘されるのではなく、ビジネスマンとしても一人の男としても尊敬できるスーパマンみたいな上司から、ド正論をぶつけられる毎日。「これは手応えあるぞ」と思っても一捻りで突っ返されるし、基本自分の思考レベルが甘くて、それに関してのフィードバックを淡々と受けることとなる。(今だから言えるが、悔しくてトイレで涙したことも2回ほどある…笑)
だから、純粋な”Fun”ではない。
ただ一方で、"Super Interesting" だし、"Hyper Exciting"ではある。

それはなぜか。
そこに、「なぜ働くのか」の答えが詰まっている気がする。

「なぜ働くのか」

細かい要素を洗い出してみて、どんなことに包含されるのかなと考えてみたところ、僕が働く理由は、自分の世界を広げるため、だと思う。

自分の世界を広げるため

これはさらに、A)ビジネスマンとしての世界を広げるため、B)人としての世界を広げるためという2つから成る。
前者に関して、細かくなるので箇条書きで記した。

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要するに、ビジネスマンとしての戦闘力を高めて、更にエキサイティングかつ魅力的な仕事が出来るようになることへ期待感みたいなもの。社内で賞を取ることとか、楽天を卒業したあとのこととか、自分が思い描く将来のキャリアに対して、今頑張ることでそこへの道が切り開けるという考えからくるもの。

そして、後者の B)人としての世界を広げるため、に関しても以下。

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これは、「ビジネスマンとしての世界を広げるため」と一部被るかつ、延長にあるのかもしれないけど、仕事を頑張った対価として、いろんな経験をしたいという欲であったり、ユニークな人であり続けて多くの人と出会いたい、更には自分が歩みたい人生を歩むといった抽象的かつ結構壮大なもの。

あと、付け加えるとするなら”仕事自体が面白い”ってのもあるのかもしれない。まだまだ出来ることは少ないけど、"こないだまで全く触れなかったExcelなのに、今は自然と関数出てくるじゃん”とか、”さっきのMTG、前回よりもうまく話せたな”とか、ふとした瞬間に感じる成長実感みたいなものは日々の仕事において大きなモチベーション。また、グループの命運をかけて取り組んでいるモバイル事業の根幹を担う役割(僕個人の業務はその末端の末端だけど…)を果たしている自負からくるやりがいは間違いなくある。

最後に
自分主体の「なぜ働くのか」に関して思うこと

ここまで記した「なぜ働くのか」の要素は、今の気持ちを正直に整理した結果だけど、ここまで考えてみて少し思うのは、「人に貢献したい」とか「社会課題を解決したい」といった高尚なことまでは思考が及ばず、あくまで”自分自身”のことで完結しているな、ということ。
この年齢になると、身の回りの課題に対して自分事として取り組んでいたり、起業と言う形で社会課題に挑んでいたり、心の底から尊敬に値する友達がちらほら現れる。彼らに比べると、自分が思う「なぜ働くのか」は小さなものかもしれない。

勿論、地元や大学の友達、会社の同期など、自分のことを知ってくれていて、関わりのある人には貢献したい。(というより、恩返しをしたいに近いのかもしれないけど…)ただし、それが仕事を通じた「xxといった手段で」「xxを通じて」という直接的な形でのイメージはまだ全然クリアじゃない。
それ以前に、自分のことで必死…

大学生の頃は、地元の高校生に自分が経験したことを話してみたいとか、ゼミの後輩に色々還元したいみたいな気持ちはあったし、実際に取り組んでみたこともある。人前で話すのは好きだし、そういう場面においては少し”ドヤれる”から気持ちは良いけど。今は、そういうことを生業には出来ないし、少なくとも今の自分はまだその域ではない。

少し話が脱線したが…
自分主体の「なぜ働くのか」となってしまっていることに、どう向き合うかに関して一つ言えることは、今の自分に出来ることを愚直にやり続ける、つまり「自分の成長に貪欲に、行動を積み重ねること」かなと。

これは、過去のnoteに書いたことがあるし、よく人にも話しているから知ってる人はいるかもしれないけど、僕はもともとサッカー選手に憧れていた。そして、駅伝を見るのがめちゃくちゃ好き。その理由は、彼らアスリートが必死になって競技に打ち込む姿は、僕ら観客の胸を打つから。
だから、(表現方法は異なるかもしれないけど)自分も常にそうでありたい。どんなに泥臭くても、必死感があったとしても、目先のことに真剣に、真っ直ぐに向き合っている姿で、なにか感じてくれる人が少しでもいればいい。
人間だから、内心思うことや、しんどいことはある。でも、そういうのは自然と周りに伝播するから、極力表に出してはいけない。
常にエネルギー高く、モチベーション高く、元気に、はつらつと。今自分がやるべき”仕事”に打ち込む。
それを続けていることで、「なぜ働くのか」に対する自分の考えも、自分主体から、本当の意味での、周りの人主体に変わっていけばいいなと思う。

そして、ここまで一気に書き上げた結果、詰まるところ僕は"強くなる"ために働いているんだと思う。(また”強くなる”かよと思う人はいるかもしれないが。笑)
要するに、今は修行期間。
修行だから、純粋に"Fun"ではないし、苦痛も伴う。でも、ふとした瞬間に訪れる”Fun”や、この修行期間を超えた先にある、さらに大きな”Fun”を楽しみに働く。

ということで、明日も”強くなろう”。

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