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渡した論文を読んだ夫から学んだこと

以前、夫に「Xジェンダー」と「アセクシャル(ノンセクシャル)」に関する論文を計4本渡しました。忙しい中、読んでくれた夫さん。ありがとう。

夫「読んだよ。いくつか質問したいんだけどいいかな」

何を質問されるんだ…私はその時点でナイーブに。テンションが下がりました。一体何を聞かれるのか?目に見えない不安がのしかかる。
そんな私を見た夫。

夫「君に余裕がある時でいいよ、今すぐじゃなくて」

おお…ありがたい。
しかし、「いくつか質問がある」という言葉が気になって、結局「例えばどんな質問?」と聞いてみました。
すると夫は、ええと、と言って論文を取りに部屋へ戻りました。
待っている間、私はソワソワする気持ちを落ち着かせるため原稿をカリカリやります。夫はすぐ帰ってきました。

文字は判別できる距離ではなかったのですが(私は目が悪い)、論文の頭にちょっとしたメモを書いている様子でした。多分「いくつかの質問」ですね。いくつか付箋も見えました。

そして、ついに質問タイムです。
私は気を張りました。
夫が論文をぺらとめくり、尋ねます。

それはセクシャリティの分類図でした。
「ノンセクシャル:恋愛感情はあるが、性的欲求を抱かない」
私、または我々は、よく見る説明です。(ノンセクシャルは日本語圏でよく使われ、大枠としてはアセクシャルと呼ばれるようです)
この図の何を聞かれるのかと思ったところでした。

夫「君は分類するならここなんだよね。君にとって恋愛感情ってどんなの?」

私にとっての恋愛感情……
あ、思っていたより質問の毛色が違う、と感じました。私は何に警戒していたんでしょう?ともかく、「私にとっての恋愛感情」を振り返りました。

私は、今まで何人かの人を好きになりましたが、多くは「この人に興味がある」という好奇心が恋愛感情とほぼ同義でした。もちろんお近づきになると嬉しかったりしましたが、どこか知らないことがあり、それを知れると新しい世界が開けたような、目の前が明るくなるような嬉しさを感じたものです。
例えば夫なら、出会った頃(この辺の話はいずれまた)、大人しくてほんわかした人だと思っていました。それがある日、知り合いの漫画家さんのノリに合わせてアドリブでおばあちゃんの声をやるという内輪コントをしたのです。それは通話アプリで、原稿をしながらみんなで集まり、一緒に仕事を頑張るという場での休息のいっときでした。

知人(仮名:たつひこ)「ねーガチャ回したいのお~!」
のちの夫(おばあちゃんボイス)「たつひこや、お小遣いが欲しいのかい」
たつひこ「おばあちゃん、またお金ちょうだいよう、ガチャ回すんだよう」
おばあちゃん夫「たつひこや、ガチャなんかより、いいものがあるよぉ」
たつひこ「やだー!ガチャしたい!いいものってなに?!」
あばあちゃん夫「たつひこ、それはねぇ、株だよ~」

こ、こんな一面もあるのか…
私は彼がその時もうかなり、結構、気になっていたというよりは、気に入っていたのです。対人で気に入るというのも語弊があるかもしれませんが、とても楽しくてよい人だ、もっと話してみたい、と思ったものでした。
(実際夫は株をやっていて詳しい人でした)

こうやって、好奇心を刺激され、満たされ、更に興味を惹かれ、知る、この繰り返しが私にとっての「恋愛感情」だという自覚があります。

それを夫に伝えました。そして、嘘偽りなく、「興味が完全に満たされ、男性恐怖症(これもいつか書きます)もあって、不意に心が離れるともう身の危険を感じるほどに相手から距離を置きたくなる、異常な状態になる」ということも伝えました。
「異常」という言葉を使ったのは、明らかに「正常範囲内とは言えないほどの嫌悪感」をいつも感じていたからです。詳しい分析は、済んでいるような、もっと分析できるような。ここではいったん割愛します。

すると夫の返答はこうでした。
夫「俺と出会った時、その恋愛感情はあった?」

うん。あったぞ。
そしてそのあと、稀有なことに、興味がおおよそ満たされたと感じる今も、私は彼とい続けたいと思っています。いや、満たされたと思うのは傲慢なのかもしれません。人は自分のことですら100%知ることはできないでしょう。それが他人ならなおさらです。私は自分のことと同じように、彼を100%知ることはできないのでしょう。

そのことが、大人になってきて体感としてわかるようになってきたのか、真偽は不明です。男性恐怖症についても、自分の分析がそこそこ進んでいるので今回それほど枷にはならずに済んでいるのかもしれません。
いえ…不明ですが。
全て知った気になるのは傲慢かもしれません。

夫は、恋愛感情はあったよと答えた私に、安心した様子でした。
夫「じゃぁ、そこは間違いなくて、最初の頃の性的欲求については…?」

そうでした。確かに付き合いたての頃は、私は柄になく性行為が可能でした。ただ、性行為は「高度コミュニケーション」の一つです。
関心と好奇心、興味と好意により、私はもともと苦手な性行為を、夫とは楽しく「コミュニケーション」として行っていたことがありました。

ただ、日が経つとやはり回数はどんどん減り、最近はほぼ体の関係はありません。
そういった体質であることを伝えた上で入籍しました。
入籍してしばらく経ちますが、体の関係がなくとも、夫は「どうしてもしたい…とか、何かあれば言う」というスタンスで、さらに「君が嫌ならする必要はない」と言います。

さて、上記の旨「コミュニケーションとして楽しんでいた、付き合いたてでもあったので嬉しさもあり楽しく行っていた」と夫に伝えました。

夫は、「楽しかった?」と聞き直し、ほっとしたようでした。
「嫌々だったらどうしようと思っていた」と言うのです。

Xジェンダーについては、「女性扱いが嫌なことってあると思うんだけど、これってどう?」と、論文のナラティブ分析によるインタビュー部分を指して質問されました。
例として、『「送っていくよ」と言われるのは女性扱いされてるっぽくて嫌だった』という意見が載っていました。
私は、これに関しては「私はそうでもない、むしろ私が送っていく」と返しました。この辺はジェンダーだけでなく個人の価値観や考え方なども関係していますね。
なるほど、と夫。

質問が終わりました。
そして、私はハッとさせられました。

夫は「私が楽しんでいたか」「自分に恋愛をしてくれていたのか」「私が嫌な思いをしていなかったか」を気にしていました。
これは明らかに、ノンセクシャルだからどうだとか、そういうことではありません。
私個人と夫自身の関係を、夫は気にしていたのです。

もしかするとセクシャリティの分類に縛られていたのは私の方だったのかもしれません。
「自分はこういう者であるから、理解してくれる人としか話すことができない」という概念が、「質問がある」と言った夫に対して私を怯ませ、目に見えない「概念」の大きさと重さが、私を狭い殻に閉じ込めていたのかもしれないのです。
「夫はシスジェンダー(出生時と同じ性自認)でヘテロセクシャル(異性愛者)だから、きっと理解してもらうのに苦労する」というような。
私こそが、夫を「分類」上の相手として見ていたのです。


夫は、私の好きなところを聞かれたら「仕事をすごく頑張っていて結果を出している、真面目である」と、まず答えてくれます。
彼は私を女性として見ていますが、私が言われたくないことは言いません。
もし言ってしまったら教えてくれ、と言われています。

これまでの人生では、告白した相手にOKされた理由を尋ねた際、「いやー、かわいいし」と言われ、心の中にぽっかり空洞が空いて、風がスースー吹くような気持ちになったことがあります。
私は、今の仕事を愛しています。
仕事を頑張り、できることはたくさんしたいと思っています。
それこそが私の人生であり、私の重要な構成要素です。
それを夫は、よく知ってくれているのだなと思います。

私がXジェンダーであろうと、ノンセクシャルであろうと、私は私なのでしょう。
こんな大事なことに、逆に気づかされることになりました。
自分が自分であることを自然と受け入れることができたのは、夫のおかげです。


ありがとう、夫。
目から鱗に、自省と感謝。
また新しく彼の性格を知り、明るい世界が開けた著者でした。

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