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90秒で学ぶ!逆説の日本史1⃣古代黎明編(第四章)

今回は井沢元彦「逆説の日本史1⃣古代黎明編」(小学館文庫)
の第四章を90秒で紹介します。

神功皇后編

神功皇后の正体とは

現在126代まで万世一系で続く天皇家ですが、三度王朝交代があったと主張する学者もいます。
そして、そのうちの一回である新たな王朝は、
神功皇后を始祖として始まった王朝であったと井沢氏は主張しています。

神功皇后と言えば、三韓征伐で有名であり、仲哀天皇の皇后、
そして応神天皇の母であります。

そんな神功皇后ですが、井沢氏はなぜ新王朝の始祖だと主張するのでしょうか。

その一つ目の根拠は新王朝の始祖には、「神」という字がつくということです。
その理由は、ここでは割愛するが簡潔に言えば、大きな反乱、即位の時期、天皇の繋がりが不透明であることが挙がられます。

しかし、いずれにせよ、初代の神武天皇、十代の崇神天皇、十五代の応神天皇もそのために「神」という字がついています。

そして神功皇后にも「神」という字がついています。

二つ目の根拠は古事記、日本書紀で記載されている内容です。

古事記では、神功皇后は腹に石を巻いて出産を遅れせたと記載されています。しかし、これは時期的に無理があります。
というのも、夫である仲哀天皇が亡くなった時期と応神天皇が生まれた時期は、一年以上のタイムラグがあり、常識的には考えられません。

そこで「腹に石を巻いて出産を遅らせた」という「神話」が必要になってきます。

実はこの時期に王朝が交代していると言われています。
しかし、王朝が交代した事実を古事記や日本書紀に書けば万世一系が崩れてしまう。
そのため、神功皇后という人物を作り、「三韓征伐」という功績を作ったということです。
(功績が無ければ、わざわざ天皇ではない皇后を大々的に史料に書くことができません。)

つまり、天皇家の伝統である万世一系を守るために、
新王朝の始祖である女帝を神功皇后とし、仲哀天皇と応神天皇をうまく繋げたということです。

また日本書紀には、神功皇后の所が一章もの分量も割かれています。
これは歴代天皇に混じって神功皇后についてだけ独立の一章があり、
皇后については、各天皇記に少し書いてあるに過ぎません。
つまり、それだけ神功皇后は特別(王朝の始祖)であったということです。

上記で指摘した理由から、
神功皇后は新王朝の始祖であったということが考えられます。


まとめ

今回は井沢元彦「逆説の日本史1⃣古代黎明編」(小学館文庫)
の第四章を90秒で紹介しました。

個人的には、王朝交代が起きているにも関わらず、天皇家の万世一系という伝統が受け継がれている点は非常に興味深いなと思いました。

また、今回は割愛しましたが、
第四章で井沢氏は、神功皇后が新王朝の始祖であったことを基に
邪馬台国が九州にあったことも主張しています。

面白いのでぜひ
井沢元彦「逆説の日本史」(小学館文庫)読んでみてください。


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